2008年04月10日

さけ稚魚放流会

「わたしたちの川に 大きくなって 戻ってきてね」
サケの稚魚は、月形小3年生、札比内小2〜6年生、花の里保育園年長組の約50人による「願いの言葉」をかけられ、約4ヶ月間育てられた「ふるさと」を後に、長くて大きな旅に出発しました。

このサケの稚魚は、昨年10月12日に恵庭市の道立ふ化場で採卵され、12月3日に発眼卵の状態で月形町にやってきました(約1,000個)。月形小、札比内小、花の里保育園、月形町役場でそれぞれ大切に育てられ、仔魚から稚魚へ、体長も約5cmとなって今日の日を迎えました。

飼育途中、あまりの低温に水槽全体が凍ったり、水が合わなくて弱ったりしたこともあったそうですが、最適積算温度を保つために水槽の場所を変えたり、月形の名湧水「北郷の名水」をわざわざ汲んで使用したり、ひとかたならぬご苦労があったようです。
飼育の担当者や、育ち具合を毎日観察していた子供達にとって、今日の日を迎えられたことは感慨もひとしおだったことでしょう。私も役場玄関を入る度に「サケ」が気になっていたので、我が子の旅立ちのようで嬉しいです。【観察日記1
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さて実際の放流は、ちらいおつ遊び塾裏手の須部都川で行われました。主催者である月形町と「花の里つきがた水と緑を愛する会」のみなさん手作りの「放流台」は、雪解け水で増水した川に安全にゆっくりと放流できるように工夫されたもので、竹製の樋(とい)がくくりつけられていました。

放流は保育園生から始まり、小学生、そして大人へ。総勢120余名。

稚魚が数匹入ったコップを手渡されると、中のサケが勢いよく暴れ出し
「ぼくは生きてるんだ。さあ、旅に出かけるぞ!」
と、サケの意気込みが手の中から私の全身に伝わってきました。それを樋(とい)の淵から水といっしょにゆっくりと流すと、サケが遡上するように水の流れに抵抗してしばし姿を留めています。しかしそのうち川面に落ち、水面付近でスルスルッと身体をくねらせて
「じゃあ!」
と言って力強く川の流れに消えていきました。

放流の後は、(財)石狩川振興財団 沖さんによる「川のお話」。
・今日放流したサケが、これからどういう経路をたどるのか
(須部都川 → 石狩川 → 石狩湾 → アリューシャン列島(2〜3年)→ 同じ道を戻る) 
・紙芝居「川の水はどうして無くならないのか」「どこから来るのか」

そしてその後の交流会では、月形産ジャガイモ「北あかり」と月形産米のカレーライスを囲んで今日までのご苦労をねぎらうとともに、この先サケが戻って来られるように「須部都川の魚道の整備※」の話をして解散になりました。
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「サケの放流事業」は今年初の試みでしたが、私は「サケ」という生きものを介して、実に多くの関連性を学びました。
・月形には良い水があり、それを守っている人がいる。
・水を守るために森があり、森に関係したたくさんの仕事がある。
・サケが戻ってくるためには、帰れるような川にしなくてはならない(魚道の整備)
・生物多様性と遺伝資源の保護
・サケの稚魚の飼育により、子供達が「サケ」「郷土」に関心と愛着を持つ。
・この事業を進めるにあたり、関係する公的機関は多方面におよび、様々な繋がりと協力が必要なこと。

折しも放流をした場所は「知来乙」。アイヌの言葉で「イトウの住むところ」。
昔イトウが悠々と泳いでいたところに、今度はサケが泳ぐ姿を想像しています。

※須部都川の魚道・・・現在、石狩川から須部都川の放流地点までの間に3つの堰(約1m)があります。サケは下ることはできても上ることはできません。大きくなって戻ってくるまでの間に、魚道を整備していただきたいと切に願っています。
(現在建設中の石狩川頭首工には3種の魚道が整備されています。)

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