2009年09月19日

平成21年度 樺戸監獄物故者追悼式

去る9月3日、例年通り樺戸監獄開監のこの日、物故者追悼式が行われました。今年は多少風が強かったものの晴天に恵まれ、秋の晴れやかな清々しい追悼式となりました。

この真っ青に澄んだ空は、この地に眠る囚人達が必死に労役に耐えた時代にも存在していたはずです。ただ労役中に空を見上げる余裕があったのか・・・。

式典後にあった郷土史研究家の熊谷正吉さんの説明では、「その頃の月形町は10メートルを超す巨木の原生林に覆われ、昼でも暗く、雨が降っても地上まで届かない」状態だったとのこと。また「石狩川の周囲は泥炭に覆われていたことから足元はぬかるみ、労役の主であった開墾や道路開削は難航を極めた」とありました。時代を経て豊かになった土地で暮らす私達には想像もできないことで、果たしてこんな私達が豊かさだけを享受してて良いのか・・・そんな気持ちにもなりました。

さて、この日の式典には町内の行政機関や地域の方々はもちろんのこと、町内外から「樺戸監獄とその労役」に関係したであろう機関(法務省・矯正施設関係、北海道開発局関係、河川管理局関係、自衛隊関係、林業所関係)と、樺戸監獄や月形町に縁のある人達(花山看守の子孫、月形町歌の作詞者の御息女、月形から分村した浦臼町の町長、他)にもご参列いただき、いつにも増して盛大な追悼式となりました。

式典は代表者による追悼の言葉のあと参列者による献花が行われ、その後、熊谷正吉さんによる樺戸監獄・囚人墓地の説明、そして岩見沢在住のオカリナ奏者・斉藤かすみさんによる追悼演奏で締めくくられました。
なお、昼は「月形産野菜を使ったカレー」が振る舞われ、午後からは樺戸博物館に場所を移し、熊谷正吉さん解説のもと樺戸集治鑑(国立の刑務所)から始まる月形の歴史を学ぶことができ、参加者一同、月形にどっぷり浸かった感慨深い一日となりました。
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様々な思考がこらされた今年の追悼式でしたが、私にとっても思い出深いものになりましと。というのも、追悼式に参加された月形町歌作詞者松実菱三氏の御息女、山下五十鈴さんご夫妻とは、このブログが縁結びとなって巡り会えたからです。(いきさつは過去のブログで書いています。興味のある方は検索してみてください。)

ほんの半年前にメールのやりとりから紡ぎ始めた「縁」が、この日「対面する」までに育ちました。その間、山下さんはもちろんのこと、桜庭町長をはじめたくさんの人の興味と行動が「縁」を育ててくれました。本当に有り難いことですし、不思議なことです。

そしてまた次の一歩が始まります。
来年(平成22年)は月形町開町130周年の記念の年で、その7月には記念式典を行うとのこと。今まで忘れかけられていた「月形町歌」を、月形中学校の生徒が合唱するために準備を進めています。

こうして一つ一つ縁を紡ぎ、伝統が形作られていくのですね。紡ぎ手の一人として参加できたようで、嬉しいです。

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