2010年06月30日
歴史伝承事業講演会「道央開拓と樺戸集治監」
6月26日(土)午後、月形町交流センターにて、月形町郷土史研究会会長の熊谷正吉氏による講演会が開催されました。この歴史伝承事業講演会は、開町130年を機に月形の歴史を掘り起こそうと昨年から始められた事業で、今回が4回目になります。
午前中に行われた「田空ツアー」参加者はもちろんのこと、月形町の歴史に興味のある町内外の人々、そして「網走監獄友の会」の皆さんなど、60名近い参加者がありました。
講演の内容は、熊谷正吉さんの研究成果をまとめた著書「樺戸監獄」北海道新聞社(1992年刊行・絶版)に沿って進められました。以下、私の視点で要点を記します。
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歴史伝承事業講演会「道央開拓と樺戸集治監」
講師 熊谷正吉氏(月形町郷土史研究会会長)
■樺戸集治監の設置まで
・江戸時代は藩毎に牢が設置され運営されていた。
その名残で廃藩置県後も各県が牢を運営。
・明治の混乱期、大量の政治犯や凶悪犯が出るも
県牢は小規模で対処できなくなった。
・明治12年、国の直轄の大規模な牢を、宮城集治監(仙台)と東京集治監(東京都小菅)に新設
・明治14年(1881年)、全国で3番目の集治監がシペツプト(現在の月形町)に設置される
(東京・宮城集治監の過剰拘禁状態の緩和、危険分子の隔離、
安価な囚人労働力の利用による北海道開拓、満期後は北海道に定住させ人口増のもくろみ)
■月形(シベツプト)に集治監を開くことになった理由
・水運に長けた石狩川がすぐ近くにある
・開拓使本庁(札幌)に近い
・自給自足のための平らで肥沃な土地がある
・前方に石狩川、背後に山があり、天然の要塞となっていた
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道内3カ所(十勝川流域、羊蹄山麓、シベツプト=月形町)の候補地から選定される
■開町当時の状況
・明治14年(1881年) 樺戸集治監(月形町)設置。
・明治15年 開拓使の廃止。北海道は函館県・札幌県・根室県の3県に分轄。
空知集治監(三笠市)設置・・・質の良い石炭のとれる幌炭坑がある。
三笠ー小樽間に道内初の鉄道。
・明治18年 金子健太郎による「北海道3県巡視復命書」
・・・北海道横断道路の必要性、道路開削に囚徒を用いるべし
・明治19年 国の直轄だった樺戸集治監は、空知・釧路集治監と共に北海道庁の管轄下に。
道庁の命令により、樺戸集治監の囚徒を使役して上川仮道路の開削工事に着手。
市来知(三笠市)から忠別太(旭川市)までの140kmを約4ヶ月で完成。
・明治22年 拡幅改良工事を行って、上川道路が完成。
完成と同時に屯田兵が北海道内陸部まで入植。空知・上川地区の開拓が急速に進む。
・明治24年 樺戸集治監は名称を「北海道集治監」に改正。
樺戸を本監にし、空知、釧路、網走を分監とする。
・明治34年 空知・釧路の両分監は廃止。釧路分監網走出張所は網走分監となり残る。
・明治36年 全国の集治監は名称を監獄と改め、司法省の直轄となる。
北海道集治監樺戸本監は樺戸監獄と改称。十勝分監は十勝監獄として独立。
・大正8年(1919年) 樺戸監獄は廃監。
樺戸監獄に関する一切の事務は、この年に監獄に昇格した旭川監獄に引き継ぐ。
囚人達の大半は網走監獄へ移動。
■その後
・昭和58年(1983年) 月形刑務所開庁(中野刑務所移転による設置) 収容定員600名。
・平成19年(2007年) 増築工事完成。収容定員 1,844名に。
■まとめ
北海道の開拓の先駆者となった当時の3集治監の囚人。そして常に危険と対峙しながら囚人を戒護し、時には囚人の作業を補佐した看守。これらの人々があってこそ、北海道が今日のごとく発展できたのではないだろうか。
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熊谷さんの講演は、すぐそこで歴史か紡がれているような臨場感があります。それは地域に埋もれた歴史を丹念に紐解き、積み重ねていってできあがった歴史観から発生するものなのでしょう。当時の囚徒や看守に対する深い愛が感じられる、人間味あふれる講演でした。
囚人(囚徒)による開拓の歴史は今まで語られることは少なく、闇の部分として封印されてきたといえます。しかし、その歴史を背負う私たち月形町民は、その事実を学び、広める役割があるのではないかと考えさせられました。
熊谷さんの地道な研究がなければ分からなかった私たちの町の歴史。
これからも大事に受け継いでいかなければと強く思った講演会でした。
熊谷さん、ありがとうございました。