2011年04月29日

H23町議選総括1(こんな選挙を!・・・栗山町/合同個人演説会)

町議会議員選挙から1週間。いくつかのテーマに分け、今回の選挙の総括をしたいと思います。

今回の選挙は東日本大震災の影響を受け、従来とは全く違った様相を呈しました。
自粛ムードにより「無意味な連呼」がなかったことは喜ばしいことだと思っていますが、それと同時に、候補者の存在や意見までもが「自粛」され、多くの議員が町民全体に対して何も働きかけがなかったことは残念でした。

『身内組織を固めること=当選』の構図は選挙戦術としては正当ですが、町民にとっての『4年に一度の議論の場』を奪ってしまっては将来的な発展が望めないと考えます。

月形町では毎回の選挙、たとえしこりを残そうとも激しく戦うことによって正常な世論を形成してきました。現状の問題点や課題、議員の有り様などを町内のあちらこちらで正々堂々議論できる機会を提供してきましたし、また、お祭りのような要素で普段町政に関心のない人々を引き込むこともしてきました。こういう過去からの積み重ねがあったからこそ、今の月形町がほぼ健全な形で存在できているのだと思っています。

しかし、今回はどうだったか・・・

当事者の一人として申し訳なく思うのは、今回の[従来型選挙の自粛ムード]を、[討論型選挙]に転換できなかったことです。

3月半ば、東日本大震災直後に現職議員で今回の選挙に対する対応を検討する機会があり、「自粛」「選挙カーを使用しない」という申し合わせをしてはどうかと提案がありました。(以前から、現職議員間では選挙運動に関する様々な申し合わせをしていたようです。)
私は「選挙運動で演説を行い、考えを町民に示したい。だから選挙カー自粛の申し合わせには参加できない。」「ただし、もし候補者全員による公開討論会や合同個人演説会を実施するのであれば、自粛してもいい。」と提案しましたが・・・

合意に至らず、自粛ムードの[何も語らない選挙戦]に突入してしまったのです。
もし今回、選挙のあり方を転換することができたら、月形町の議会は[地方分権][議会改革]の面でどれほど飛躍できたことか。


そんな中、北海道新聞(4月22日朝刊・空知版)からこんな記事を見つけました。

町議選立候補者 初の合同演説会
【栗山】24日投開票の栗山町議選で、立候補者による初の合同個人演説会が21日、カルチャープラザEkiで開かれた。=写真=
 有権者の判断材料にしてもらおうと、栗山地区商工連盟、町農民協議会などでつくる合同個人演説会推進委(松原正和代表)が呼び掛けて実現。立候補者15人全員が出席した。
 演説に先立ち松原代表は「初の試みです。1票でも投票が増え、今後の選挙の手本になることを望みます」とあいさつ。候補者達は1人8分の持ち時間で、行財政や議会改革、教育、福祉、産業振興などの政策を発表。訪れた約430人の町民は熱心に聞いていた。合同個人演説会は22日、南部公民館でも開かれる。

これこそ私がめざしていた選挙のあり方です!!!

議会は「言論の府」。(本来は)発言でしか物事の取り決めはできません。議員である以上、自らの考えや方向性を示すのは最低限の仕事。その基本的な能力と考え方を町民前で自ら示し、選択してもらう選挙は理想です。

この合同個人演説会、公職選挙法の縛りがあり準備等が必要になります。また、多くの候補者が賛同し参加しなければ意味をなしません。その中で栗山町は推進委員会を立ち上げ、候補者全員が参加したことが素晴らしい!
栗山町議会が先進的に取り組んできた議会改革の流れ、そしてそれを支える町民の意識と行動力に感動しました。やはり栗山町は、先進地として私達の数段先を行っているのです。
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今回、月形町では合同個人演説会は実現できませんでした。今まで連呼ばかりの選挙をし、議会報告会も開けない議会という事実を考えれば当然のこと、高望みだったと反省しています。一つ一つ階段を踏みしめ上がっていかなければ、理想の高みには到達しないということがハッキリ解りました。

そのために今私がすべきことは、
[めざすもの]を明解に提示すること(=栗山町のような議論を中心とした審議を行い、それらを公開して町民とともに考え行動する議会にすること)。
それを実現するために、たとえ私一人であっても行動すること(=常に公の場面で議論を行う。その議論を公開する。町民と共にある。)

選挙を通して様々なことがハッキリと見えてきました。

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