2011年08月15日

迷い、悩み、考えた先に見えてきたもの(2)・・議論とは・・

同じテーマの前回から半月が経過し、その間に色々な方から電話やメールをいただきました。ご心配をおかけしてスイマセン。私自身は至極元気でやっています。気に掛けていただき、ありがとうございました。皆さんの声に励まされます。

右の写真は、お盆休みに家族登山したウペペサンケ山の途中で撮影した糠平湖。強風と膝通・腰痛で途中下山でしたが、満足のいく山行でした。
__。__。__。__。__。__。__。__。__。

さて、本題。今回は「議論」について考えます。

「議会は言論の府」と言われる以上、議論により物事が決まっていくものと思っていました。
しかしながら実際は・・・?
 兼業議員の地方議会に限らず、国会でさえまともな議論が少ないのだから致し方ないのかもしれませんし、議員必携や議会改革の本にあえて「議会は言論の府」と書かれていたのは、現実にはそうなっていないことの裏返しだったのかもしれないと、最近思えてきました。


議論をするには、そこに集った人が議論で物事を解決しようと(妥協点を見いだそうと)しなければ噛み合わない=議論にならないのだと、議員活動を続けるほどに感じます。「議論する」って、以外に難しいことなんですね。

それから、議論の到達点(議論の深さ)にも個人差があり、私はまだまだ議論の入り口だと思っている場面でも他の人から見れば既に最終段階。どこを結論とするのかは議長や委員長を中心とした議会の認識に左右されるため、議論がほとんどなされないままの結論でも手続き的には問題ないことも解りました。


私は議員になる前も今も、既存の大きな組織に所属したことがほとんどありません。何か活動する時は目的を同じにする人達で新たな組織を作ってきたからです(認可保育所建設要望の会、学童保育所開設の会、合併問題を考える「つきがた未来21」、まちづくりNPOふきのとう、地球温暖化防止活動の「地球を愛する会@月形」他)。
目的を持って集まってきた仲間だから、言いたいこともたくさん。結果、議論が絶えない活発で明るい団体ばかりでした。それが普通と思っていた私、今思えば、異端児だったのかもしれませんね。


議論が尽くされていない時=妥協点が見えない時、皆さんはどう納得するのですか?


私には未だこの答えが見いだせません。迷いが生じたのもココです。

同僚議員に聞いてみたところ「常識で考えればわかる。」「全てが思い通りに行くわけではないのだから、諦めることも必要。」「正副議長に任せる。」・・・私にとっての有効な解決策はありませんでした。

そもそもの視点が違っている場合、トコトン議論しなければ納得など出来ません。が、しかし、視点が違っていることを説明し理解してもらうのは本当に難しい。私の力量不足も相まって回りくどい説明になり、結果最終地点まで到達できずに限界点を迎えます。いつも最後は(定数10なので)「10分の1の意見」として扱われてしまうのが残念です。

森啓先生が「真実は少数にあり」と、土曜講座で何度も口にされていました。この言葉が今の私の励みです。

また今月のカレンダーには「自分が善だと信じていることが、全ての人にとっての善だとは限らない。争いごとの多くは善と悪の戦いではなく、それぞれの善と善との戦いだ。」との一文。なるほど〜。

そしてもう一つ「議論は人格をかけ勝負するものではない。」「改革、改革ではなく、発想の転換が必要。」これは元栗山町議会事務局長の中尾さんからいただいた言葉。議論も改革も目的でなく手段、もっと大きく物事を捉えなさいと諭していただきました。


今年は土曜講座も修了し、自治体学会にも参加できませんでしたし、他の勉強会からも足が遠のいていたかも。選挙が終わってからの3ヶ月、狭い関係の中でばかりで考えていたと反省。必然的に近視眼的になっていたようです。

やはり一歩踏み見出し、様々な人と交わりながら大所高所からの視点を大事にする・・・これが目下の解決策でしょう。めげず、諦めず。

1

▲TOPへ戻る