議員の使命に政策運営の批判と監視があるように、議員に対する批判と監視の場も存在します。それが選挙です。

 今までの活動が議員として適正であったか、そして今後の活動が住民福祉の向上に役立つかを判断されます。ですから、選挙に立候補したからには、住民にその判断材料を提供しなければなりません。それは、「志」を示し、その実現を約束することです。それにより住民は候補者の考えや行動を理解し、正確な判断が可能になります。また候補者は自らの戒めにもつながります。

 また、選挙運動は言論による運動が基本です。公職選挙法では、文書図画を用いた選挙運動には多くの制約が課されていますが、言論による選挙運動は原則自由に行うことができます。公職選挙法が文書図画に制限を課し、言論が自由である理由は、できるだけお金を掛けないということもありますが、議会が「言論の府」であることも理由の一つです。つまり、議員活動の基本は言論であり、議会にかけられる問題はすべて言論によって決定されるからです。趣旨説明、質疑、討論、質問、動議、報告、答弁、演説、これらはすべて言論によって行われます。したがって、言論による選挙運動、つまり街頭演説がきちんとできるか否かは、当選後に適正な議員活動ができるかどうかにもつながります。

 震災の影響で、各方面で自粛ムードが広がっています。その結果、日本経済全体が停滞ムードに陥っています。選挙運動の自粛もしかりです。選挙の目的を考えれば、自粛すべきでないことは明白です。

 もちろん、一般の有権者が選挙カー自粛を訴えるのはわからないでもありません。それは、選挙運動=連呼でしか運動できない候補者が多いからです。候補者の「志」を示せない無意味な運動であれば、一層のことなくしてしまえという論調もある意味正論です。しかし、その風潮に候補者が流されてしまうのはどういうわけでしょう?無意味な運動であるなら、意味ある運動に変えればいいだけです。変える力がないから、批判を恐れて大衆に迎合していく。議員としてはあってはならない行動であると思います。

2011年4月12日
宮下裕美子

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