2007年08月10日

合意形成するための議論はどこに?

今日、私にとっては初の常任委員会がありました。委員会の内容は後日書きますが、その委員会のあり方、あるいは議会のあり方に猛烈にガッカリしています。

「議会は言論の府である」と、議員になってすぐに先輩議員に言われました。これはいったい何を意味していたのでしょうか?

私がまだ一般町民だった頃、本会議やまちづくり特別委員会、予算委員会等を傍聴する限り「言論の府」というには議論の積み重ねが薄いと感じていました。議員それぞれが自分の意見を言い合うだけで、その矛盾点や疑問を突っ込むことがなく、合意形成される前に多数決で物事を決めていたからです。
しかし、定例会では「委員会報告」があり、そこでは合意形成されたがごとくの報告がなされていました。きっと私達が傍聴できない(公開されていない)議員協議会や、私の傍聴していない常任委員会のどこかで議論がなされ合意形成されているのだと(勝手に良い方に)解釈していました。

そんな淡い期待も議員生活4ヶ月目を向かえて、もろくも崩れ去りました。
今まで行われた多くの会議で「議論の積み重ね」はほとんどできていません。特に行政と議会という局面では、「(行政による)説明と(議員からの)質問と(行政の)応答」のパターンで終了します。その事項に対する議員相互の議論はありません。
従ってどこまでいっても(いつまでも)議員個人の考えは変更される機会がなく、議会全体のまとまりも、方向性も示すことができず、次の場面への展開もありません。

古い話ですが、このいい例が「合併に関する住民投票」の時の議会の対応です。議会は多数決で「自立」を決め、それ以上の議論はなされませんでした。その結果、住民投票で合併の意向が示されたときにすぐに対応できず、空白の期間ができてしまったのです。
もしもこの時、非公開でも良いから議論が尽くされていたなら、多数の意見に関係なく様々な考えや方法、運び方などが議題に上り、検討されていたことでしょう。そして住民投票の結果がどちらにでようとも対応できたのではないでしょうか。
一般町民としてこの一部始終を見ていた私は、この時に議会改革の必要性を感じました。

そして今、自分が議員になってこの当事者となってしまったことに腹が立っています。
議論のない議会では町民の負託に応えることができません。
行政のチェック機能としての議会は、今のままでも何とかやっていけるでしょう。しかし議会に求められているのはそれだけではないはず。これからの月形の進むべき方向を見据え先手を打った対応が必要になってきています。
そのためには議会としての合意形成が重要で、その手法として議論の積み重ねが必要不可欠です。つまり議会改革がなされなければなりません。

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