2012年02月03日
「震災から考える、持続可能なコミュニティのあり方」・・・地域ESD学びあいフォーラム
2月2日、札幌市エルプラザで開催された『地域ESD学びあいフォーラム』に行ってきました。
地域ESD?
と疑問に思った方も多いはず。私もこのタイトルだけなら内容がよくわからず参加しなかったのですが、副題に「震災から考える、持続可能なコミュニティのあり方」とあったので興味を持ったしだいです。
ちなみに【ESD=Education For Sustainable Development 持続可能な開発のための教育】でした。
主催が「EPO北海道(環境省北海道環境パートナーシップオフィス)」であるように、日本でESDは環境教育からスタートしました。国際的にはユネスコ(国連教育科学文化機関)が推進していて、環境だけでなく国際理解や人権、経済などをつなげた「総合的な取り組み」であり、「持続可能な社会づくりのための担い手づくり」となっています(参考:日本ユネスコ国内委員会)。
さて、今回のフォーラムでは「震災」を題材にして「ESD」を考えました。私は今まで全く「ESD」を知らなかったのですが、今回のフォーラムに参加して、私たち月形町民が普段行っている地域活動(町内会活動やボランティア、スポーツ少年団や児童劇団がたっこの活動、障がい者の地域支援、他)や、地域と連携した学校教育(特に札比内小学校のように地域全体が関わる活動)、エコファーマー制度や地産地消のような地域内循環の考え方(経済的な活動)、地球を愛する会@月形の活動(町民向けの環境教育)などがまさしくESDでの実践であることが解りました。
「ESD」などというと理解しにくいのですが、非常に身近なものであったわけです。ただその違いは、「今までの地域活動 = 自然発生的に身近な問題の解決策」として進んできたのに対し、「ESD = 総合的な見地からの戦略的な取り組み」という点にあります。ここの違いは非常に大きい。様々な活動を続けていく上で、目の前から積み上げていくのと、大きな視点で考えていくのとでは、将来的な成果が大きく違ってくるでしょう。
月形町場合、地域や個人ではESD的な活動はどんどん進んでいますが、行政は未だ縦割りで総合的な発想がほとんどなく、取り組みも不十分。この状態のまま進んでいけば、いつか行政が足かせとなって(既に足かせとなっている部分もありますが)停滞してしまうでしょう(既に停滞しているところもあります)。行政こそがESDを必要としていると感じました。
フォーラムは満席で、入場定員をオーバーして締め切ったとのこと。関心の高さが伺えましたが、その参加者のほとんどは一般市民やNPO関係者、大学生。ラフな雰囲気が印象的でした。
以下、私の印象に残った点を中心に、フォーラムの内容を報告します。
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地域ESD学びあいフォーラム「震災から考える、持続可能なコミュニティのあり方」
基調講演「震災で見えた 日頃のESD活動の重要性と地域のつながり」
講師:伊東毅浩氏(気仙沼市教育委員会 学校教育課 課長補佐)
■気仙沼市内小中学校でのESDの取り組み
・ユネスコスクールを中心として、小中学校の95%が加盟
・内容は学習指導要領の内容と同じだが、ESDという視点でとらえなおすと全てが関連してきて
スッキリと理解できる。
・「地域が支えるESD」の事例:「鹿踊り(伝統芸能の伝承)」「うを座(児童演劇)」
・「地域が支えるESD」は、学校のカリキュラムにも取り入れ、発表の場も設けている
■震災時の様子(ESDの視点から)
・大人は(過去の経験から)避難の動きが鈍かった。それに対し、子ども達は素直に迅速に対応。
子ども達が防災知識を持っていたから助かった。(= 学校での防災教育の重要性)
・「地域のつながり」が今回の震災対応や避難生活で大きな役割を果たした。
・ESDにより地域の枠を超えたつながりが存在(例:うを座=市内全域、都市との交流)した。
このことで「地元つながり」と「枠を超えたつながり」とが融合し、様々なニーズにきめ細かく
対応できた。
・地域を窓口とした避難生活では、100%物資を届けられる。(行政主体では行き届かない。)
・気仙沼市の備蓄体制はセンター方式をとっていたが、全く機能しなかった(取りに行けない)。
→ 学校を中心として、それぞれの避難所に備蓄することに。ただし、管理の問題が残る。
・避難所運営は市職員が行うことになっていたが出来なかった(その場所に来られなかった)。
実際には、各学校の教員と地域で行った。→ 決定権と管理をどうするかが課題。
・避難所生活により学校の中に大人も子供もいる状況が生まれ、子供の教育に良い効果が出た。
(学校が生活の場となり掃除や整頓している姿を見て、子ども達も自然体で掃除をするように。
道徳的な面でも効果が高かった。)
■防災教育
・防災教育は、学校教育と地域とが一緒に行うことが大切。
・緊急時対応を普段から家庭内で話し合っておくことがどれほど大事か、震災で実証された。
・防災教育は一生もの。(防災教育を先進的に取り組んでいる中学校の生徒や卒業生は、
何処でもリーダー的な役割を果たした。)
■震災から見えたこと
・「ESD=地域とのつながり」、この重要性。
・「生きる」とは、「自分」そして「全ての人」を大切にすること
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パネルディスカッション「震災から学ぶ持続可能な地域の作り方」
コーディネーター:宮内泰介氏(北海道大学大学院教授)
パネリスト :伊東毅浩氏(気仙沼市教育委員会)
:酒匂 徹氏(自然農園ウレシパモシリ代表、
パーマカルチャーデザイナー、花巻市)
東田秀美氏(北海道避難者受入団体協議会共同代表、
東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌「むすびば」事務局長)
■エコロジカルな暮らしは災害にも強い
・地震の直接的な被害はなくても、東北一帯は流通がストップし何もない状況に。みな被災者。
・流通がストップした状況でも、自給自足に近い生活をしていたのでほぼ問題なかった。
(車の燃料=BDF・廃油、暖房・調理・風呂=薪、トイレ=くみ取り)
・震災前に「ヒドイ」と言われていた暮らし(くみ取りや薪の生活)が、震災後は最もリッチな
場所になった。
・便利さを追求したツケは大きい。
■「むすびば」の活動を通して
・「物資を集める」というとゴミが集まる。
「札幌市民からのプレゼント」というコンセプトを伝えて集めていった。
・支援される側は常に気を使い、恐縮している。支援される側に「ありがとう」と言わせない
工夫が必要 → 家族の隣人としてのつきあい。共に作り上げるという仕組み。信頼関係。
・「避難者を受け入れる」ではなく、札幌に「被災地が来た」という発想で取り組む。
・支援内容は時間の経過と共に変化する
(1)避難者支援 → (2)避難者と共に作り上げる → (3)避難から保養へ(受入から取組へ)
・受入団体は道内に約30、全国で約100。
全国ネットワーク「いのちの全国サミット」が開催される。
■震災における学校や行政の現場から
・教員はクラスの中で組織づくりをしている=組織づくりのノウハウがある。
それに対し、市職員は組織づくりをしたことがない。
→ 避難所運営は学校が中心の方がうまく進むのではないか。
・日本人はみな義務教育を受け、根底に根付いている。いつでも「学校教育」に共感できる。
■震災を通して見えてきたこと
・自然界に生きるには、対応力が求められる。(←→行政は手堅いことが役割。対応できない。)
・柔軟に対応するためには、多種多様性が必要。多様性を受け入れることが重要。
・変化に対応すること = 声に反応すること、実践すること。
・自分たちが管理できる規模を守りながら物事を進めることが重要。
・文化活動は(伝統を)継続していくこと。ESDにも通じる。
■課題、その他
・長期間の支援活動 = 金銭的なもの
・仕事がなくては人は住めない。被災地に経済活動が復活することが必要。
・(被災したかどうかではなく)コミュニティを作り上げることが全国共通の課題。
震災でコミュニティの重要性が浮き彫りになっただけ。
・支援する側(受け止める側)も、時には誰かに受け止めてもらいたい。
お互いに「受け止めあう関係」= コミュニティのあり方が重要。
(被災者が支援を受け止めるから支援者も達成感や存在感が芽生える。受け止めるのはお互い様)
・年間3万人の自殺者を出している日本。この解決のヒントもここにあるのでは。
・未来を作って行くには、様々な選択肢から何を選ぶのか、前に進む覚悟が求められる。
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非常に考えさせられる内容でした。
月形町では昔ながらの「地域のつながり」が今も残っていますし、新たな取り組みのあって機能しています。しかし総合的なビジョンはなかったと思います。「地域のつながり」の重要性と必要性は解っていても、今後どのように応用していけばいいのかが不足していました。その点で今回のフォーラムは示唆に富んでいたと言えます。
また震災の現場の話しは非常に心に響いてきました。講師の伊東さんは「震災の語り部」という役割を自らに課し、全国各地で当時の体験やそこで得た教訓を語っています。
皆さんも機会があったらぜひ聴いて欲しい!
千年に一度の大震災を経験した私たちは、その教訓を次につなげ活かす役割があります。
私たちは「つなげる当事者」です。