2013年05月06日

政治は妥協というけれど、議員の発言や行動には責任がある【議員の仕事とは?】

今日は久々に政治の話題です。

最近、私が気になっていることを少し書きます。
この場合、紋切り型の方が筆が進むのでそうします。ちょっとキツイ表現に映るかもしれませんが、今の私の意見です。
__。__。__。__。__。__。__。__。

この4月〜5月の連休にかけて、国政でいくつもの大きな動きがあった。

特に気になったものだけあげても
■主権回復・国際社会復帰を記念する式典(4月28日)
■現職閣僚を含む、国会議員169人の靖国神社参拝(4月20日〜)
■憲法改正に向けた動き(憲法記念日にあたって)
■原子力発電の技術輸出(連休中の首相外交・トルコにて)

これら一つ一つに対して私なりの意見があるが、今日は標題に関連して「靖国参拝問題」について考えてみたい。


まず最初に、私は国会議員の靖国参拝には反対である。特段に想い入れがあっての結論ではないが、靖国神社の歴史や憲法の精神、近隣諸国との関係など、私が得た情報の中で判断した。
戦没者の追悼をするなら、やはり無宗教の国設施設にすべきと考える。


さて、本題。今回、過去最多の国会議員(169人)が春の例大祭に合わせて参拝したが、国会議員の一人一人は「靖国参拝」をどう考えていたのだろう?

参拝国会議員が過去最多になったのは「先の衆議院議員選挙で自民党が圧勝し新人議員が多く誕生したから」と言われている。今回参拝した議員が誰だったのか、ネット検索しても情報が出てこないので正確なことは言えないが、新人議員が多くを占めているとしたら、その人達は国会議員になる前に靖国参拝したことがあるのだろうか? 
(例えば、今回北海道から数多く誕生した自民党新人議員はどうだったのか? ぜひ聞いてみたい。)

もし「自民党の国会議員になったから」「党首の意向に沿って」のように考え参拝していたとしたら、本当に残念だ。たとえ政党に所属していたとしても、議員の言動の主体は議員本人にあるべきと考えるから。少なくとも小選挙区で当選した議員なら。

それに、靖国参拝を内政問題とする向きもあるが、事ここに至っては外交問題に直結していると捉えるのが自然だと思う。外交に関わる問題の解決と取り組みは国会議員の職務の一つで、私たち地方議員に決定権はない。それを自らの主体なしに「寄らば大樹の陰」「全体主義」で行動しているとしたら、何のために私たちは議員個人を選んだのだろう。(選択肢がなくて選ぶ場合もあるので、政党が前面に出ることはままあるが・・・)

政党自身がタカ派の党首を選び、それにただ追随する政党集団であったならとても危うい。過去の記憶を呼び起こし、「日本は右傾化している」と言われても仕方ないと思う。とても心配な状況だ。

一方、参拝したそれぞれの議員が信念を持って靖国参拝を決断し実行したのなら、その部分は評価したい。ただ、そうなると日本が「右傾化」していると言えないか? こちらも非常に心配。



今まさに国政が動いている。TPP交渉参加表明であったり、憲法改正(96条先行改正)の動きであったり。それらの中で国会議員一人一人はどう考え、どう行動しているのか、とても興味深い。特に地元北海道から選出された議員は、結果として私たちが選んでいる。その動向が。

先の選挙の時「TPP交渉参加には断固反対する」旨の主張をして当選した自民党新人議員達。今まさにその時の主張と結果とのズレで難しい立場だと思う。「政治は妥協」しなければならないこともあるのは事実。でもそこに至るまでの過程や考えの変遷は議員一人一人違うだろうし、あって当然。

だから、そこの部分をキチンと示して私たちを説得して欲しい。
自己矛盾しないためにも、一応の筋が通った(自身の論理構成で)話しをして欲しい。
それこそが議員の仕事だと思う。


私も地方議員の一人。議員の端くれである。

議員である以上、一つ一つの決断・言動は自覚を持って進めたいし、進めている。
その結果が望まない方向になったり、失敗と思われることになるかもしれない。でも、自分で判断したことだから自分で受け入れられるし、その説明もできる。

それを有権者がどう判断するか・・・ 
結果はわからないが、議員としての仕事は果たせると思う。
 
同僚議員にも同じことを求めるのは、やり過ぎだろうか?

comments

コメント・フォーム

(ゆみこの日記 にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

コメント・フォーム

▲TOPへ戻る