2019年01月30日

町立病院・林院長の退職に対して【1月29日道新+1月25日全員協議会&まちづくり常任委員会】

1月29日(火)の道新で報道された通り、町立病院の林院長が3月末での退職の意思を示しました。このことを私たち議会は1月25日(金)に急遽開催された全員協議会で報告を受けていましたので、補足説明と私の考えも含めて記します。
 
《1月25日(金)全員協議会での町長からの説明要旨》
●林院長から「在宅訪問診療や短期入院などの取り組みを頑張ってきた。町長から度々訓示などもいただいたが、医療スタッフからの理解と協力を得ることができなかった。院長として医師として(この状態は)耐えられない。退職したい」「3月末で退職したいが、後任を探すのは大変なので1〜2ヶ月伸ばすことは可能」との申し入れがあった。これに対し上坂町長は「スタッフの指導と管理で至らなかったことを申し訳なく思っている」
●今後の対応として
・後任確保に向け、全力で取り組んでいる(既に医師募集をかけた)
・スタッフの配置を含め対応したい
・町民に迷惑をかけないよう、これまで以上の病院運営をしていきたい
 ↓
●大変申し訳ない。(解決に向けて努力しているので)時間をください。
 
町長からの説明のあと議員からいくつかの質問がありましたが、最終的に議会は「今は見守るしかない。後任確保に向けて全力で取り組んで欲しい」ということで終了しました。
 
この日は本来、まちづくり常任委員会の所管事務調査で「町立病院の運営」を調査することになっていたので予定どおりに行いましたが、院長が退職することの影響は大きく「院長が決まらないうちは今後の検討などできない」「医師確保が最優先」「医療スタッフとのミスマッチがある以上、医師だけでなく(病院経営全体を引き受けてくれる)組織を探すしかない」などの意見が主流を占め、こちらも「今は見守るしかない」ということで終了しました。
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ここからは私個人の考えです。
 
院長の退職が引き金になった報道と説明だったので医師側の退職理由のみが取り上げられ、ともすれば医療スタッフ側に問題があったように捉えられそうだが・・・ この前段には医療スタッフの大量退職(看護師の退職は年度当初だけでなくその後も続いている。さらに技師の退職も控えている)があった。個別の退職理由は明かされていないが事実が重要である。つまり、組織運営に問題があったと私は思う。
  
町立病院の運営や経営の話しをすると決まって「医療のことに事務方は口を出せない」と言う議員がいるが、私にはよく理解できない。医療行為そのものは医師に任せるにしても、病院運営や経営は事務方(役場)が主体的に進めるもので、スタッフ間の調整や町民への説明なども含めてやるべきことがたくさんあったのではないか。医療スタッフが退職する際に「退職理由は聴かなかった」「去る者は追わない」ということにも驚いた。問題解決のための第一歩さえ歩んでいないように見える。
 
林院長に替わって以降、町立病院が担っている終末期医療が大きく転換した。それまでの長期入院と胃瘻なども含めた手厚い対応から、自然な死を待つ看取り医療に方針転換したのだが、直接関係する町内の老人福祉施設側との連携・確認はしたものの、町民は蚊帳の外だった。看取り医療がどういうものか町民は当事者になるまで解らず、お見舞いに行った人から「酸素も着けないで音もしないで寝てるだけ」など不安や不満の声を聴く機会が増えていた。町民への説明や周知不足は否めない。ここを担うのは事務方ではなかったか。病院利用者=町民への配慮や視点が不足していたのではないか。
同様に、平成29年11月に「町立病院運営体制改革検討結果報告書」が作られたが、検討メンバーは役場職員のみ。専門家や利用者の視点は含まれていなかった。
 
今、林院長が退職することになって「後任の医師を確保するのが最優先」となった。確かに常勤医師がいなければ病院は成り立たないから最優先事項だし、医師不足の社会情勢から「誰でもいいから来てくれる医師を」という空気になっているのも理解できなくもない。
だが、次に院長になる医師が「積極的医療を行う医師」だったら、月形町の終末医療はまたも180度転換するのか? 医師が変わるたびに町立病院の在り方が変われば、振り回されるのは町民であり、老人福祉施設側。そんな不安定な状況で安心した暮らしができるのだろうか?
 
こんな状況だからこそ、町立病院の在り方を町民と話し合う場を設ける必要があると思う。どんな医療があれば月形に住み続けられるのか、提供する側だけが考えるのではなく利用者側も一緒に考えていくことで見えることもあるはず。
 
医師確保は最優先。だからといって他に何もしなくていいということではない。マルチタスクで進めなくては! 
そのための組織、そのための町立、そのための役場! 
だと思っている。

comments

医療従事者です。
数年前に胃ろうについて、延命治療についてマスコミが大騒ぎした時期がありました。胃ろうが悪いとは言いません。その対象になる方の基礎にある疾患やご家族の思い。色々な要素を加味してその方にとっての最善はどこにあるのか。
ご本人が意思表示をできるのであればその意向を確認して、ご家族、主治医とともに話し合いを進めていく必要があります。
私は過疎化が進む地域の市立病院で10年弱勤務した経験がありますが、その時に感じたことは医療従事者の知識のなさ、社会情勢や最終医療について学ぼうとしない古い体質に愕然としました。学ばない事を人が足りないから研修に行けない。と言い訳し、市民の税金で生活しながら市民の声も聞こうとしない。
市立病院も町立病院もなんのための病院なのか。
医師がいないから高い給料を払い、医師にはやめられたら困るからと意見も言えない。
そんな体制に嫌気がさしました。
ここ数年は医療費が膨大になり、削減の意図もありますが国は在宅での看取りを推奨しています。
それがベストとは言い切れませんが、もう終末期だろうという方が自分から訴えられず、死ぬギリギリまで自動血圧計を巻かれ、血圧が測れないため何度も加圧されうでは紫に腫れ上がり、もう身体は水分も代謝できないのに点滴をされパンパンに膨れ上がり、亡くなる時には見る影もない患者様を沢山みてきました。
そのたびに自分はこんな死に方をしたくない。家族をこんな風に死なせたくないと思うようになりました。
その後縁あって脳外科の病院に働きましたが、どんなにひどい状況でも医者は命を助けるために手術をします。結果、自分で話す事も食べる事も出来ず、胃ろうの必要性を話され、自宅介護が困難な寝たきりとなり、市内では看護師が施設に足りず家族から離れた市町村の長期療養にうつり、最後を迎える方が本当に沢山いらっしゃいました。

その町で暮らし、生活していく上で自分は同最後を迎えたいか。
今は林先生のような数少ない医者がその患者様とご家族と向き合って話をしてこられたのだと思います。
個人病院ではない以上、本来なら市町村が自分たちの住んでいる、今後死にゆくあり方を、どうありたいか地域住民の方々と話し合いその診療を担う医師とも都度方向性を打ち出していく必要が有ると思います。
ここ数十年、医療技術が進む事で延命がされるようになり、治療を受ける事が当たり前になり、自然の形で干からびるように死を迎える事が不自然のような、何もしない事が悪い事のような意識が染み付いているのだと思います。
けれど自分がどう死にたいか聞くと
大抵の人は自然のまま
苦しまないで死にたいという

どうすることがそこにたどり着けるのか、知識がないからわからない。

そのためには今後死を誰もが迎えるにあたり、
どんな治療の選択肢があるのか、その過程で患者様自身やご家族がどんな準備や覚悟が必要か、その過程でどんな社会的支援が必要か

その調整役は市町村でしょう。

具体的な説明や医療、看護をする為には専門技術者である私達が常に知識を得て実践していく必要があります。
終末期医療を本気で考えてくれる医者なら、他の医療従事者や患者様のご家族が思いや考えをしっかり伝えれば、自分の死生観をむりやり押し付けてくることはないはずです。

院内にその協力をする仲間もいなかったのでしょうか。
新聞や天塩時代のブログも拝見しましたが
月形は過疎化が進む中、林先生が就任された事で訪れた大きな改革のチャンスを
向上心のない町職員に潰されましたね。

看取りの過程ではこれでよかったというものは難しく、ご家族はずっと悩み続けるものですが。

林先生の診療で看取りをされたご家族にお話を伺ってみてはどうですか?

林先生が去られる事で医者が不在になる事を問題視する前に、先生が残ってくださるには自分たちが行うべきことはなんなのか、

税金でお仕事されているみなさんはよく考えてみるべきでしょうね。

  • 2019年04月10日 22:19

  •     

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