2019年04月20日

選挙は表現の場。候補者の姿勢が現れる【2019月形町議会議員選挙】

「選挙には細かなルールがあって、画一的な選挙運動しかできない」と思っている人が多いのではないでしょうか? 
●選挙カーを走らせ名前を連呼し、窓からは白い手袋をはめた手を振ってニッコリ笑って「よろしくお願いします」と言う。
●「この地域の申し合わせ」だから、選挙運動をするのは初日と中日と最終日の3日間だけ。・・・みたいな。
 
私の記事を読んでいる人は、そんなことはないと気づいているはずですが、立候補者の多くはこの呪縛から逃れられないと言うか、都合よく乗っかっているように思えます。
 
選挙にルールはありますが、公職選挙法を守っていれば案外自由に、かなり創造的な活動ができます。私は「選挙は、表現の場」だと考えていて、選挙には候補者の姿勢が現れると思っています。
 
■今回の選挙で私以外の候補者は「選挙運動をするのは初日と中日と最終日の3日間だけ」と申し合わせをしていたようです。
選挙運動期間は5日間しかないのに、町民の関心が高まっているときなのに、どうして自らその接点を捨ててまで仲間内の申し合わせを重視するのでしょう? 町民と仲間、どっちを向いているの?
 
■選挙のポスターのデザインは自由なのに、どうして判で押したようなデザインを選ぶのでしょう? もちろん同じ印刷会社を選んでいるからかもしれませんが、それでも以前の候補者のポスターはバラエティに富んでいました。横並び? 目立ちたくない?
「黒のスーツが染めた入学式/国際基督教大学 学生部長」の記事を思い出しました。
 
■選挙は、町民への選択肢を明示し選んでもらう行為だと思っています。政策を明示するのもその1つですし、計画等への意思表示もそう。でもほとんどの候補者は、常套句や当たらず障らずの文言を示してイメージづくり。最終的にどういう行動をとるのかわかりません。
候補者は有権者に何を約束したの? あなたはどういう議員になるの? 議決をするときに何に従うの?
 
■初めて街頭演説するときの緊張感は半端ないです。でも1度越えてしまえば、自分の考えや想いを伝える手段として必要不可欠になります。「言論の府」と言われる議会の議員になろうとするならば、街頭演説を避けて議論ができるのでしょうか?
 
自分の考えや想いを代弁する候補者は誰なのか・・・
明日は投票日です。
 
※ 今回の選挙ポスター掲示板、全くの偶然ですが、現状を映す鏡のような配置になりました。

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