2019年09月06日

簡単だからやってみて【鍋でご飯を炊く方法】

震災のときに、おにぎり屋さんのハレミちゃんが投稿してました「鍋でご飯を炊く方法」。
 

停電で炊飯器が使えないとき、鍋でご飯を炊こうと思ったけれど、問題は水加減。
水は手首まで?
お米カップの何倍?
実際にやると迷ってしまう。お粥みたいなご飯じゃいやだけれど、焦げ付くのも・・・ 

と思っていたら、
ハレミちゃんが投稿してくれたのでやってみた。
初めての私でも美味しいご飯が炊けた! 食べられた!!
ハレミちゃん、ありがとうネ❣️
 
簡単だから、みんなもやってみて。
1回やったら「簡単だー」「美味しいー」ってわかるから。
 
今夜、私も鍋でご飯を炊くヨ

2018年9月6日 ハレミ

炊飯ジャーの米と汁ごと
鍋に移して
ふたのある鍋で
ご飯炊けます。

沸騰して蒸気が出たら
弱火で15分
15分たったら火をとめて
蒸らしたら出来ます。

ちなみに新たに炊くのならば
お米に大して1.1倍の水で炊いてね

2019年09月04日

9月3日は月形町が原点を振り返る日【樺戸監獄物故者追悼式&月形潔を偲ぶ催し】

月形町の起こりは、樺戸監獄(当時は集治監=国立刑務所)の開設から。明治維新の政治犯を投獄する目的で、明治14年7月1日開村(空知管内第1号)、その2ヶ月後の9月3日に樺戸監獄開庁。この日にちなんで、毎年この日近辺に樺戸集治監物故者追悼式を行っています。(樺戸監獄の囚人たちが道内主要道路を開削し、その困難さで多くの犠牲を払った。詳細は月形町ホームページ>月形歴史物語で http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/5525.htm)

さらに、8年前からは「月形 潔(つきがた きよし=初代典獄=刑務所長、村長的な役割も担う。月形町の名前の由来)」の生誕地、福岡県中間市中底井野から歴史研究会のみなさんが訪れるようになり、(町職員や議員や関係団体代表者と)月形潔を偲ぶ「竹とうろうの夕べ」や交流会が開かれるようになりました。

9月3日は、月形町が原点を振り返る日なのです。

今年も物故者追悼式には多くの招待者が出席し、町外(全国・全道)からは札幌高等検察庁検事長や副知事、法務省や国交省の上級職、矯正関係者、集治監繋がりや近隣の首長、宗教関係者(教誨師)、北海道開発局、自衛隊、観光、報道などの方々が約130人。町内からは町政功労者や議員、各種団体の代表者など約50人。この他に町職員(管理職や担当職員)、随行者、町歌を披露する小学5・6年生などが約50人と総勢230人もが、会場の篠津山霊園囚人墓地に集いました。

追悼の言葉と献花、そして今年も札響コンサートマスターの大平まゆみさんが追悼演奏を披露するなど、とても盛大なものになりました。
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私は3年ぶりの参加で、ちょっと気になることが・・・ 

催しが一層盛大になる一方で、一般町民の参加がなかったこと。あまりにも規模が大きく、一般町民にとっては近寄りがたくなっているのでしょう。町外発信は熱心でも町内への取り組みはなく、町民の関心が薄いのも事実です。それと「月形潔」にスポットを当てすぎていること。確かに月形潔は月形の名前の由来にもなる開村時の月形を代表する方なのですが、月形町をつくるには町民の努力や苦労も大きかったわけで・・・ 月形潔(=首長、官)を強調すればするほど「お上(おかみ)」を崇めるようで違和感を感じました。

できることなら月形潔と合わせて、当時の町民やその暮らしに思いを馳せる催しになってほしいと思っています。

2019年08月18日

まだの人は申込みを【IP告知端末機の交換】

月形町内全戸設置のIP告知端末機。新機種への交換が7月末から始まっています。
 
地区ごとに目安の時期は指定されているものの、都合に合わせてくれるので、我が家は今日の午前中にお願いしました。(市南地区は8月5〜11日だったけど、お盆前はムリと変更して予約。その後、確認電話があり「11時頃は?」と時間指定されるので無駄がない。)
 

交換に来られたのは地元の電気屋さん2人で、気さくで安心。古い機種を外したり電源を準備しておいたのもあって、交換と確認作業を含めて10分程度で終わりました。

現在、町内1/3程度が終了しているとのこと。概ね予定通り進んでいるとはいえ、アポを取るのが難しくて連絡のついていない家庭もあるそうなので、まだの人は連絡してくださいね。(連絡方法は町報に織り込まれています。電話・FAX・webなど好きな方法で!)

2019年07月28日

月形町赤十字奉仕団として参加してま〜す【つきがた夏まつり開催中】

夏らしい暑さと湿気の中、つきがた夏まつりは絶賛開催中!

月形町赤十字奉仕団は、会場入口近くで活動中。防災備蓄品(5年保存できるパンと保存水、アルファ米)の試食と、募金活動をしていま〜す。寄ってくださいネ。

今年はずーっと涼しかったのに、今日はガッツリ「夏」。朝から気温が高い上に、風がなくて湿度が高い! 誰も彼も真っ赤になってやってます。

会場には多くの人出で賑わってま〜す。

2019年07月25日

最後の施設見学会【月形学園】

この前の日曜日(7月21日)、町内にある少年院「月形学園」の最後の施設見学会がありました。そう、月形学園は今年度末で46年の歴史に幕を閉じるのです。当日は町内を中心に20人近くが参加しました。
 
月形学園は月形町の誘致により昭和48年に開庁したのですが、それは月形町が明治時代に「樺戸集治監(明治14年〜大正8年)」を開設するために拓かれた町だったから。発祥に縁を感じて「矯正の町」として活性化しようとした先人の足跡でした。(この流れで月形刑務所も誘致し昭和58年に開設された。)
それが今、施設の老朽化と(少子化の影響もあって)非行少年数の減少を受けて集約化されることに。これまで道内4つあった少年院が3つ(男子は千歳市と帯広市、女子は千歳市)になるとのことです。
 
月形学園は短期少年院(半年以内)。教育活動の中で積極的に地域と関わっていて、近隣の事業所で実習したり、地域の人が学園に来て行事をしたり・・・。今回参加した人の多くが何らかの形で学園と関わったことのある人達(同じ町内会、少年の受け入れ事業者、教科の指導者、ボランティア・・・)だったので、過去の思い出とともに感慨深そうに施設を眺めていました。
 
私自身は、月形に移住して最初に住んだ実習農場が月形学園のお隣。私が農作業しているときに、少年達も農作業をしていたり、歩くスキーをしていたり。フェンス越しにあいさつを交わすこともあって親しみを感じていました。それから20年以上経過する中で、議員や地域住民として、主に職員の方達とお付き合いしてきました。全国・全道を転勤する職員のみなさんやそのご家族も地域に馴染もうと町内行事や行政の説明会等にも積極的に参加され、「新鮮な風」を吹き込んでくれました。月形学園は非行少年の「社会への窓」であるとともに、私たち町民にとっても「外界との窓」だったように思います。
 
これだけ地域に密着していていた施設が閉じられることに寂しさを感じずにはいられませんが、現状から当然の帰結だと思います。願わくば、月形学園の取り組み(=人と人との温かなふれあいで少年教育を進める)が受け継がれますように。
 
最後に
今回の施設見学会では学園長にとても丁寧な説明と対応をしていただき、穏やかな気持ちで見学を終えました。学園長と職員のみなさんさん、ありがとうございました。
数年ごとに替わる学園長、これまで何人もの学園長と接してきましたが、これほど親しみや穏やかさを感じたことはなかったです。職場の雰囲気や外部との関係を作り出すのは組織のトップ、その役割は重要だと改めて感じました。

  

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