2019年09月05日

一般質問通告内容【令和元年第3回定例会】

定例会は9月10日(火)に開会し、議案審議からスタートします。一般質問は11日(水)午前10時〜。私はトップバッター(次に東出議員、楠議員、大釜議員)です。
 
私の一般質問は以下の3問、全部で2時間の予定です。
ぜひ、傍聴にお越しくださいませ。
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■1.大型事業の展開にともなう財政見通しについて(発言時間:60分/答弁者:町長)
 
昨年から大型事業構想が次々と発表された他、早急な経営改善が求められている事業もある。中でも私が特に気になっているのは以下の5つ。
a. 地域拠点施設(バスターミナル複合施設)整備
b. 皆楽公園再整備
c. 新たな農業施設(こめ工房と集荷場)整備
d. 月形町振興公社の経営および経営改善
e. 町立病院の公設民営化による経営改善
 これらについて、現段階の説明ではほぼ同時進行で事業を展開し財源の多くを過疎債に頼るようだが、果たして町財政は持ちこたえられるのか。
月形町の人口構成(高い高齢率)から、人口減少が顕著に進む局面に入っている上、生産人口の減少も著しい。今後もこれまで同様の財政規模を保てる保証はない。また、償還12年(据置3年)の過疎債では単年度の負担が大きい。その中で、実質公債費比率や公債費負担比率などの財政指標の悪化=財政の硬直化が懸念される。
そこで質問する。
1)5つの事業それぞれの事業計画(タイムスケジュールと費用負担の推計:概要で可)
2)上記5つ以外で、今後10年間に必要となる大型事業(特に施設関係)
3)今後10年間の財政推計
4)負担平準化をめざして事業展開を分散化させる場合の優先順位
 
 
■2.月形町の防災・減災体制について(発言時間:30分/答弁者:町長)
 
胆振東部地震とそれに伴うブラックアウトから1年が経過するにあたって、月形町の防災体制がどのように強化されたのか、現状と今後の展開を伺いたい。具体的には
1)地震当時に明らかになった課題
2)行政組織としての対応
3)町民側への働きかけや対応(地域防災組織や関係団体の対応および町民個人)
4)今後の展開(タイムスケジュールも含む)
 
 
■3.選挙公報の発行について(発言時間:30分/答弁者:選挙管理委員会委員長および町長)
 
選挙は政治参加の重要な機会であるから、有権者に平等に候補者情報を届ける必要がある。月形町議会議員選挙の場合、選挙ハガキが主な伝達手段だが上限800枚の制限がある上、配布先は候補者が選定するために有権者の受け取る情報は偏る。また選挙ビラも解禁されていない。その点、選挙公報は全候補者情報が一覧できる上に全戸配布されるので、有権者全体に情報が行き渡る有用な手段である。
市町村の首長・議員選挙において選挙公報を発行する場合は「選挙公報発行条例」が必要である(公職選挙法の規定)。月形町ではまだ制定されていないが、近隣町村のほとんどが条例を制定し選挙公報を発行しているのが実態である。
18歳選挙権対応や投票率低下対策、無投票やなり手不足解消等の課題解決のためにも選挙公報の発行が必要ではないか。
選挙を所管する選挙管理委員会の委員長と、発行予算に関係する町長に、見解と今後の取り組みを伺いたい。

2019年09月04日

9月3日は月形町が原点を振り返る日【樺戸監獄物故者追悼式&月形潔を偲ぶ催し】

月形町の起こりは、樺戸監獄(当時は集治監=国立刑務所)の開設から。明治維新の政治犯を投獄する目的で、明治14年7月1日開村(空知管内第1号)、その2ヶ月後の9月3日に樺戸監獄開庁。この日にちなんで、毎年この日近辺に樺戸集治監物故者追悼式を行っています。(樺戸監獄の囚人たちが道内主要道路を開削し、その困難さで多くの犠牲を払った。詳細は月形町ホームページ>月形歴史物語で http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/5525.htm)

さらに、8年前からは「月形 潔(つきがた きよし=初代典獄=刑務所長、村長的な役割も担う。月形町の名前の由来)」の生誕地、福岡県中間市中底井野から歴史研究会のみなさんが訪れるようになり、(町職員や議員や関係団体代表者と)月形潔を偲ぶ「竹とうろうの夕べ」や交流会が開かれるようになりました。

9月3日は、月形町が原点を振り返る日なのです。

今年も物故者追悼式には多くの招待者が出席し、町外(全国・全道)からは札幌高等検察庁検事長や副知事、法務省や国交省の上級職、矯正関係者、集治監繋がりや近隣の首長、宗教関係者(教誨師)、北海道開発局、自衛隊、観光、報道などの方々が約130人。町内からは町政功労者や議員、各種団体の代表者など約50人。この他に町職員(管理職や担当職員)、随行者、町歌を披露する小学5・6年生などが約50人と総勢230人もが、会場の篠津山霊園囚人墓地に集いました。

追悼の言葉と献花、そして今年も札響コンサートマスターの大平まゆみさんが追悼演奏を披露するなど、とても盛大なものになりました。
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私は3年ぶりの参加で、ちょっと気になることが・・・ 

催しが一層盛大になる一方で、一般町民の参加がなかったこと。あまりにも規模が大きく、一般町民にとっては近寄りがたくなっているのでしょう。町外発信は熱心でも町内への取り組みはなく、町民の関心が薄いのも事実です。それと「月形潔」にスポットを当てすぎていること。確かに月形潔は月形の名前の由来にもなる開村時の月形を代表する方なのですが、月形町をつくるには町民の努力や苦労も大きかったわけで・・・ 月形潔(=首長、官)を強調すればするほど「お上(おかみ)」を崇めるようで違和感を感じました。

できることなら月形潔と合わせて、当時の町民やその暮らしに思いを馳せる催しになってほしいと思っています。

2019年09月02日

シンポジウム準備【大阪旅その6】

大阪旅のメインは「議会事務局研究会設立10周年記念 第6回議会事務局研究会シンポジウム」のパネルディスカッションに登壇すること。でもその前に、裏側の話しを少し。
 
議会事務局研究会は、地方議会事務局の充実強化のために2009年に発足し、現在の会員は64名(うち研究者5名、議員14名、首長および事務局職員を中心とした自治体職員等45名)。私がメンバーに加えていただいたのは2012年2月のこと。日常はメールでのやり取りで活動に参加しています。(※議員が会員になるには紹介や事前審査があります。)
 
昨年8月に第5回シンポを開催してすぐに10周年記念シンポが話題に上り、その後の研究会(会員のみの勉強会)で話が進められ、最終決定してからはML(メーリングリスト)で役割分担や情報共有をして準備を進めてきました。
 
会員は関西圏を中心に九州から北海道まで点在しているので、メールで進めるしかないのですが、要所要所では動ける人が動いて打ち合わせをしたり確認したり。その都度、情報をMLに流して共有という、機動力と熱意が半端ないのがこの研究会の特徴です。 
 
物事を確実に進めるには「適切な統括者」を置き、その統括者が情報を提供しながら適時に判断をして指示を出すことと、その指示に積極的に関わるメンバーが必要で、その全てがこの研究会の中に揃っているのがスゴイところです。特に、開催間際の確認作業と担当者の事務処理能力はスゴイの一言! また、普段顔を合わせることのない会員が開催当日の集合時間にいつの間にか集まり、事前配布されたフローに従い率先して準備を進める姿もスゴイの一言です。
 
そしてもう1点。研究会の活動にスポンサーがなく、手弁当で賄っているということ。今回、150人規模のシンポをあの会場を使ってあの参加費で開催できるのは、様々な工夫と会員の奉仕活動があってこそ。会員だけで登壇者がほぼ賄えるというのも大きいでしょう。
 
こういった信頼関係で築かれた議会事務局研究会。その会員であることに誇りを感じています。だからこそ、議会事務局研究会が起点になって各地の地方議会事務局が変化し、地方議会が市民自治の担い手として発展したらいいですね〜。
私もお役に立ちたい! だから、私に出来ることを1つずつでもやっていきたいと思ってます。
 
※ 写真は開催前の準備風景。当日参加した会員は35人、シンポジウム〜懇親会の中で某かの担当を持ち、10周年記念シンポを成功させるために働きました。
お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

マニフェスト大賞応募【大阪旅その5】

大阪の旅と直接関係ないのですが、マニフェスト大賞の〆切が8月31日だったので、お尻に火の付いた私は旅に持ち込んだのでした(苦笑) 
 
前夜祭で、マニフェスト大賞の受賞者である林晴信議長から応募のポイントを伺うことが出来たのはラッキーでした。今回初めての応募なので、いざ書き出したら迷うことが多くて。それまで準備していた原稿は「弱い」と気づいて、その夜ホテルに帰ってから修正。
 
と言っても、すでに8月30日の深夜。出発前も朝1時半から色々やっていたのでもう限界。いつものようにまずは睡眠をとって朝3時半から書き直し。書けば書くほど書きすぎるのはよくあること。
字数制限を気にしながら・・・ 漏らさずスッキリとまとめなくちゃ
出発時間を気にしながら・・・ シンポ当日、身だしなみも整えて
応募〆切期限を気にしながら・・・ もう8月31日!
 
超バタバタの中、待ち合わせの時間(ホテル1階に午前10時45分)の直前、8月31日10:26に受付完了メールが届きました〜〜〜
 
応募したのは、議員選挙に関する取り組み。
応募タイトルは「地方の町村議員なり手不足を解消する実践。 ワンオペ選挙運動・軽トラック活用・選挙費用公開で、立候補のハードルを下げる!」
 
さて、どうなるかな〜
結果はどうあれ、応募のバタバタが大阪旅と重なって記憶に残ることは間違いなし。何かの基点になるかもしれません。

応募内容はこちら(PDF)

2019年09月01日

太陽の塔【大阪旅その3】

大阪2泊3日旅は色々詰め込んで盛りだくさん。道中はバタバタでした。帰宅して落ち着いたので整理して報告します。
 
ここまでに
■大阪旅その1/一路大阪へ
■大阪旅その2/吹田市議会の個人視察
■大阪旅その3/太陽の塔(←今ココ)
■大阪旅その4/1日目夜は前夜祭
過去記事をご覧ください。
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吹田市議会をあとにして、同じ吹田市内にある万博公園「太陽の塔」を見てきました。もちろん内部も!
 
大阪万博は1970年開催なので50年前!「太陽の塔」はそのシンボルとして有名ですよね。平成30年に内部再生が完了して公開されています。前日までの予約が必要ですが、人数を制限した30分ほどの解説付きツアーでじっくりと深く鑑賞することが出来ます。
 
大阪モノレール「万博記念公園駅」から公園中央口を通って「太陽の塔」までは800m。駅から見える「太陽の塔」の大きさに驚き、近づくに従って大きさを益して気持ちも高まり、公園内に入ってからは仰ぎ見るような大きさに圧倒され・・・ 外観だけでも感動でした。
 
実は私、今回の下調べで「太陽の塔」には4つの顔があることを初めて知りました。外側表の2つ(黄金の顔、太陽の顔)、外側裏の1つ(黒い太陽)そして内部の地下に再現された1つ(地底の太陽)。
さらに「太陽の塔」内部に広がる空間に設置された「生命の木」があることを。
 
紹介された画像は見ていたものの、その実物は・・・ 
その造形と発想にもう圧倒され、言葉も出ない! 全身が震えました。 

これが50年前の万博のときには、太陽の塔の中にエスカレーターが設置され、下から内部を通って腕を抜けて外の大屋根に抜けるという順路だったそう。その間に生命の起源や進化を体感して、最後は宇宙にでも飛び出すような感覚になる設計だったんですね〜。本当にスゴイ、素晴らしい! 岡本太郎!!!
 
「太陽の塔」内部に入ってすぐに、岡本太郎氏がこの構想を練る際の絵コンテが日付入りで展示されていました。「生命が生まれる過程」を見ているよう。そしてそれが1967年春から始まっていることにも心躍りました(私は1967年3月生まれ)。
 
駆け足でしか見られなかったけれど、価値のある見学でした。
あ〜、行って良かった♪

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