2009年09月26日

今年の出来秋は・・・

左の写真は、今日の月形(市南地区)。一面の田んぼに稲穂が頭をもたげて風に揺れています。

例年、月形では9月20日頃から稲刈りが始まります。いつもの年、今日(9月26日)ここで写真を撮ったなら、半分くらいの田んぼで稲刈りが終わっていたでしょう。今年はまだ始まっていません。月末頃にやっと始められるとのこと。これだけ遅れたのは夏場の天候不順(低温、多雨、日照不足)によります。

一見たわわに実っているように見える稲穂も、不稔(実が入っていない)のものがかなりあるようで「収量は例年の6割くらいになるかもしれない」と米農家の友人が話していました。
昨年は天候に恵まれ収量が増加し所得も増えた米農家。一転今年は・・・。

今年は米だけでなく、果菜(メロンやスイカ、カボチャ、トマト他)や根菜類(ジャガイモ他)、葉物野菜や切花も、減収や品質の劣化、収穫時期の遅れなど、天候不順の影響が出ています。月形の農産物の売り上げも減少するのは必至でしょう。

農業が天候に左右される不安定な職業であることを改めて感じる光景です。

2009年09月21日

自民党総裁選の街頭演説で

今日は用事があって娘と札幌大通公園へ。と、ちょうどそこでは自民党総裁選の街頭演説が・・。
私はスルスルと黒山の人だかりに引き寄せられて正面へ。娘と2人約1時間、3人の候補の演説を聴いてきました。

会場にはマスコミはもちろんのこと、スーツ姿でバッチを着けたたくさんの道議や市議、国会議員の姿もありました(自民党だけでなく、他の政党の方も)。流石自民党!
どの候補も街宣車の上から聴衆に向かって力を込め「この総裁選の意味するところ」「これからの自民党の向かうべきところ・あるべき姿」「自民党再生の手法」等を、自分の言葉で伝えていました。

実は私、2,3日前に放送されたラジオの「公開討論」で3人それぞれの主張は聞いていたのですが、やはり生の演説は違いますね。候補者の気迫や動きだけでなく、聴衆のシビアな反応が相まって独特の緊張感と雰囲気を醸しだし、聴く側に「答え」を迫ってきていました。

自民党の総裁選挙なので、部外者の私が口を挟むべきことではないとは思いますが、なるほどと思うところもあれば、ピントがずれていると思うところもあり、それぞれの候補の(自民党内および国政を預かる政治家としての)立ち位置がハッキリ見て取れ、この場に居合わせてよかったと思いました。 

今回の衆院選は負けたとはいえ、地方も含め自民党の力が絶大なのを今日は改めて感じました。だからこそ「立ち位置」を決めるのは難しいのですね。自民党を党として運営している議員側の認識と、それを支える一般党員側の意識、そして国民の期待、そのどこに視点を置くかで主張も行動も変わってくるのではないかと思います。大きい組織だからこその悩み・・・。

それにしても(手前味噌ですが)、娘(高1)が最後まで私につきあい街頭演説を聴いていたことに感心しました。細かな内容まではわからなかったようですが、ポイントは感じ取れたようで、これまた感心。若い世代が政治に興味を持ってくれることは何よりです。

そうそう、それからもう一つ。会場で日の丸の小旗を配っていたのには疑問を感じました。どの組織が配布していたのかはわかりませんが、なぜ「日の丸」なのか? 私には違和感しか残りませんでした。

2009年09月20日

第17回雪の聖母園祭

今日は晴れ渡る晴天のもと、第17回雪の聖母園祭が開催されました。

多少の風はあったものの、澄みきった秋の空気と青空が、会場に集まった人達の心を解放したのは言うまでもありません。たくさんの出店を回って「おいしいもの」を食べ、友達や親御さんと談笑し、ステージの催し物に合わせて踊る・・・園生や保護者、地域の人達の姿が印象的でした。

左の写真は今年初参加の北海道医療大学(当別町)の「よさこいソーラン」チームです。本戦でも賞に入るほどの実力はさすがで、躍動感と笑顔、衣装の華やかさと展開のおもしろさに圧倒されました。
もちろん例年催される岩見沢清丘園の「きじ太鼓」は身体に響く力強さがあり、月形小のブラスアンサンブルも堂々としていて素晴らしかったです。
__。__。__。__。__。__。__。__。__。

雪の聖母園祭に参加するようになって何年か経ちますが、園生が着実に高齢化してきているのも感じました。当たり前のことですが、普段は何気なく見過ごしていたように思います。

月形町は高齢化が急速に進んでいるのですが、こういう福祉施設の方々も、刑務所の囚人もそれは同じ、日本そのものの問題です。ただ、それぞれに事情を抱えているだけに、個別に対応しなければならない問題で、一定の配慮が必要だと思います。でも根っこは同じ。制約はあるにせよ、人として豊かな老後を支えるのは自治体の役割だと思います。

だからこそ、町内にある資源を活用しなければ。人と人との輪、福祉施設のノウハウと設備、人材・・・今はまだ上手く調整ができていないために力が発揮できていませんが、近い将来の超高齢化社会に備えて、そろそろ本腰を入れなければなりません。

様々な人が集まる月形町だからこそ、行政の調整能力が不可欠です。幸せの鍵はそこにあるのではないでしょうか。一歩進める勇気を!

2009年09月19日

平成21年度 樺戸監獄物故者追悼式

去る9月3日、例年通り樺戸監獄開監のこの日、物故者追悼式が行われました。今年は多少風が強かったものの晴天に恵まれ、秋の晴れやかな清々しい追悼式となりました。

この真っ青に澄んだ空は、この地に眠る囚人達が必死に労役に耐えた時代にも存在していたはずです。ただ労役中に空を見上げる余裕があったのか・・・。

式典後にあった郷土史研究家の熊谷正吉さんの説明では、「その頃の月形町は10メートルを超す巨木の原生林に覆われ、昼でも暗く、雨が降っても地上まで届かない」状態だったとのこと。また「石狩川の周囲は泥炭に覆われていたことから足元はぬかるみ、労役の主であった開墾や道路開削は難航を極めた」とありました。時代を経て豊かになった土地で暮らす私達には想像もできないことで、果たしてこんな私達が豊かさだけを享受してて良いのか・・・そんな気持ちにもなりました。

さて、この日の式典には町内の行政機関や地域の方々はもちろんのこと、町内外から「樺戸監獄とその労役」に関係したであろう機関(法務省・矯正施設関係、北海道開発局関係、河川管理局関係、自衛隊関係、林業所関係)と、樺戸監獄や月形町に縁のある人達(花山看守の子孫、月形町歌の作詞者の御息女、月形から分村した浦臼町の町長、他)にもご参列いただき、いつにも増して盛大な追悼式となりました。

式典は代表者による追悼の言葉のあと参列者による献花が行われ、その後、熊谷正吉さんによる樺戸監獄・囚人墓地の説明、そして岩見沢在住のオカリナ奏者・斉藤かすみさんによる追悼演奏で締めくくられました。
なお、昼は「月形産野菜を使ったカレー」が振る舞われ、午後からは樺戸博物館に場所を移し、熊谷正吉さん解説のもと樺戸集治鑑(国立の刑務所)から始まる月形の歴史を学ぶことができ、参加者一同、月形にどっぷり浸かった感慨深い一日となりました。
__。__。__。__。__。__。__。__。__。

様々な思考がこらされた今年の追悼式でしたが、私にとっても思い出深いものになりましと。というのも、追悼式に参加された月形町歌作詞者松実菱三氏の御息女、山下五十鈴さんご夫妻とは、このブログが縁結びとなって巡り会えたからです。(いきさつは過去のブログで書いています。興味のある方は検索してみてください。)

ほんの半年前にメールのやりとりから紡ぎ始めた「縁」が、この日「対面する」までに育ちました。その間、山下さんはもちろんのこと、桜庭町長をはじめたくさんの人の興味と行動が「縁」を育ててくれました。本当に有り難いことですし、不思議なことです。

そしてまた次の一歩が始まります。
来年(平成22年)は月形町開町130周年の記念の年で、その7月には記念式典を行うとのこと。今まで忘れかけられていた「月形町歌」を、月形中学校の生徒が合唱するために準備を進めています。

こうして一つ一つ縁を紡ぎ、伝統が形作られていくのですね。紡ぎ手の一人として参加できたようで、嬉しいです。

2009年09月17日

鳩山政権誕生

昨日、鳩山政権が発足し、夜遅くまで新大臣の記者会見があった。どの大臣も緊張と不安はあるものの、まっすぐ前を向き、信念と希望のオーラを発しているのが印象的だった。

8月30日の選挙結果を見た時、民主党のあまりの勝ちっぷりに4年前の小泉選挙を思い出してしまったが、その後の民主党の動きや鳩山さんの発言を聞いているうちに、あの時とは全く違うのだと認識した。鳩山さんの言葉は論理的だし、常に先の一手を打っているように思う。

今までとは違う政権。改革は痛みを伴い、戸惑いを生む。
でも、それを私達国民が選んだのだ。
だから私達にもその責任の一端はある。

全てお任せでなく、監視も必要。そして信頼はもっと必要。
関心を持って「これから」をともに進もう。

<<前の5件 209210211212213214215216217218219

▲TOPへ戻る