2009年02月04日

まちづくり研修会(北方領土の最近の情勢)

今日は夕方から、はな工房大ホールにて「平成20年度 まちづくり研修会」が開かれました。今年は「北方領土の現状と今後期待される共生のあり方を考える町民の集い」として講演会がおこなわれました。講師は北方領土復帰期成同盟事務局次長 平子博氏で、演題は「北方領土をめぐる最近の情勢」した。
参集範囲は町議会議員、町監査委員、町の各行政委員会委員、町職員ということですが、前日に新聞折り込みで周知されたので、一般の方も何人かお見えになっていました。総勢約50人。

講演の内容は、北方領土問題(北方領土の歴史)、日本とロシア(ソ連)の関係、北方領土返還運動の現状などでした。
日露関係は文化面の交流があり、経済面では関係が強化され貿易額も年々伸びているにもかかわらず、平和条約(領土問題)だけは進展がなく、具体的な道筋が見えていないということでした。また「国民の総意」が領土交渉には重要になるということで、地元根室だけでなく、全道、全国へと運動を拡大し、「北方領土返還」の声を大きくして外交交渉をバックアップしていきたいとのこと。そのためには学校教育をしっかりしていただきたいとのお話しもありました。
現在学校では小学5年の社会科と、中学校の地理・歴利・公民の時間に「北方領土問題」を取り上げているそうです。
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確かに、私が「北方領土問題」を知ったのは学校の授業でした(約30年前)。私は栃木県出身で、北方領土と言われても身近に感じることはできませんでしたが、「太平洋戦争の爪痕が今も残っているんだ」という驚きとともに、暗くて怖いイメージがしたのを覚えています。

今日の講演で、北方領土問題の解決にあたっての国の考え方として「現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益および希望は、返還後も十分尊重していく」ということ、また過去に樺太(サハリン)において日露混住(日本人とロシア人がともに暮らしていた)という時代があったというお話がありました。領土問題は国の利害が前面に出てきてしまうものですが、そこに現在住んでいる人や過去に住んでいた人の考えや感覚が優先される解決策であって欲しいと思いました。

それから講師の所属する北方領土復帰期成同盟は運営費の9割が公的な補助で成り立っているということ、ビザなし訪問活動や人道支援物資の提供活動はそれぞれ別団体が行っている等のお話しがあり、それぞれの団体の連携はとられていない印象を受けました。全国的な展開をするのであれば、何か一工夫された運動やお金の使い方があってもいいのではないかとも思いました。

今日は北方領土問題について見識を深めることができ、講師の方にはお礼申しあげます。が、「まちづくり研修会」の目的に合致した講演会だったかは疑問が残りました。

2009年02月03日

総務民教常任委員会(2009.2.3)

本日午後から総務民教常任委員会が開かれました。
今回の調査事項は『月形町交流センター管理運営について』。
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まずは現地視察。私が交流センターの工事現場に入るのは今回が初めてなので、どの程度進んでいるのか、設計図で示されていたものと実際の建物とのイメージの確認、等興味津々でした。

今日現在の工事全体の進捗率は85%で、内装工事段階とのこと。外壁は95%が完成し、外構の一部(道路から玄関までをつなぐアーケード下の舗装)は2月後半に行われ、完成予定は3月15日。
この段階になるとそれぞれ専門の業者さんが多数参加しているので、どの部屋も活気があります。

最初の写真は【交流センターの中央玄関】です。交流センターには表側(南東面)に3つの玄関が設置されています。南側(月形小より)から学童保育用、集会施設用、障害者支援施設用です。
私たちが入場した集会施設は土足仕様なので、工事期間中でもほとんど平らでした。

次の写真は【学童保育施設内部】。面積的には、現在学童保育として使用している「母と子の家」の(講堂以外の)居住空間とほぼ同じと言うことですが、南向きで窓も多く明るい上、キッチンや居室が一体のホールで開放的、思いのほか広く感じました。
この空間なら少ない人数の指導員でも目が届きやすく、対処もしやすいのではないでしょうか。保護者(利用者)と指導員(先生)と役場(設置者)が何度も協議を重ねた結果だと言うことで、完成が楽しみです。

最後は【集会施設の中心となる講堂】の様子。天井の下地工事中で講堂全体に足場が組まれていたので、入り口から覗いてきました。しっかりした構造で天井を支えているのが見えました。
天井には講堂を分割する可動式壁のレールも設置されたいました。そこを閉めると1/3と2/3に分割できるのですが、2/3部分はほどよい広さで使い勝手の良いスペースになりそうです。それに対し1/3は思いのほか狭く、ウナギの寝床状態。大きく一面を使うか、分割して使うか・・・完成後の使用形態についても要観察です。

写真は掲載しませんが、この他、トイレや厨房、フリースペースの「ふれあい広場」「高齢者サロン」、障害者支援施設内部、ペレットボイラー室も見学しました。

5日の産業常任委員会にも交流センターの現地視察が含まれているので、機会があれば別の場面も紹介したいと思います。
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現地視察終了後、委員会室での調査研究となりました。

1. 交流センターの管理業務は社会福祉協議会に委託する
・社会福祉協議会の事務局を、現行の7名から10名体勢。
・今までの活動に加え地域活動支援センター事業と交流センターの管理業務を請け負う。

2.開館時間、受付業務などは要精査
[町側からの説明]・開館時間:月〜土曜の8:30〜18:00、
         ・利用申し込みに応じて18:00〜21:00、日曜祝日も対応する
[委員会討議]
・交流センターの開設趣旨(異世代の交流、ふれあい、思いやり)を運営に反映させるべき
・「日曜祝日、夜間は原則閉館。予約で対応」と「原則開館」とでは町民の受け取り方が違う
・「ふれあい広場(フリースペース=予約なし、無料開放)」はこの事業の象徴。
  この部分の位置づけと運用がカギ。
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月形町交流センターは、この4月から運用が開始されます。工事も急ピッチで進められ、運営に関してもツメの段階に入りました。

1月臨時会での条例審議の際、全員協議会での町側と議会のズレは今回も解消されたとは言えません。交流センターは何のために建てられたのか、日曜や夜間の開館をどう捉えるのか、開館にともなう経費増加分を精査した数字は・・・。町側の意向を受け入れるには、いくつもの項目に対し納得できる説明や資料が不足していると思いました。

今は「交流センターの運営」に話題を絞って検討していますが、もっと大きく「月形町の公共施設のあり方と運営」を論じることで解決の道が見えるかもしれません。ただそのためには、現状分析が欠かせません。もう少し調査範囲を広げ、精査した数字を揃えた中で、複合的に検討していきたいと思っています。

2009年01月30日

2009年1月31日は『月形子どもの日(?!)』

『月形子どもの日』なんていうのはないのですが、明日(1月31日)の土曜日は子供たちが主役&主催の行事が2つ、ほぼ同時刻に行われます。
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1つは『月形小 第21回 ブラスアンサンブル定期演奏会』午前9時50分開演、月形小体育館にて。

月形小学校が取り組むブラスアンサンブルは、3〜6年生の有志による自由参加のクラブ的な取り組みです。そのため部員の数もその時代で変化し、それに合わせた編成や楽曲を工夫しながら長年受けつがれてきました。

月小ブラスアンサンブルの活動の場は広く、各種コンクールの他、たくさんの町内行事(消防演習雪の聖母園祭、町民文化祭、他)、そしてこの定期演奏会と、一年を通して活躍しています。
そのため練習も年間を通して行われ、朝(授業前)の基礎練習や放課後のパート練習・全体練習、夏休みの練習&合宿、冬休みの練習など、子供たちや指導にあたる担当の先生はもちろんのこと、サポートする他の先生方や保護者もいっしょになって頑張っていて「すごい」「素晴らしい」の一言です。

月形小学校では放課後になると校舎のあちこちから ♪プヮ〜 ♪ポー !ダダダダン と元気な音とともに子供たちの笑い声やはしゃぐ声が聞こえます。子供たちの素直で伸び伸びとした様子に、町民の誰もが活力をもらって、「子どもっていいな」「平和だな」と感じているのではないでしょうか。

今年の部員数は37名とのこと。昨年11月に入部した3年生と、これを機に引退する6年生が揃う「定期演奏会」。どんな演奏が聴けるのか・・・楽しみですね。
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さてもう一つは『第2回 月中雪祭』午前9時〜12時、月形中学校グラウンドにて。

今朝の新聞折り込みに入ってきたチラシ(→)をご覧になった方も多いのではないでしょうか。このチラシを見て、私は思わず「スゴイ!」と発してしまいました。なぜなら、月形中2年生が主催になっていたからです。

と言うのも、この学年は昨年も「総合的な学習の時間」を使い「第1回 月中雪祭」を企画し、実施していました。ただ開催当日は猛吹雪で中止となり、後日規模を縮小してのプチ開催。冬休みも学校に来ては雪像づくりをしていたというのに、さぞかし心残りだったと思います。
その子供たちがもう一度企画し、その「やりたい」を形にするために、子供たちだけでなく学校側や教育委員会が協力したということ、2年続けて同じテーマに再挑戦(リベンジ)したということ、に感動しました。

昨年は猛吹雪、今年は稀に見る少雪と暖かな日々で雪像づくりなどの準備は大変だったことでしょう。困難にめげず、頑張る姿勢はちゃんと誰かが見ていてくれます。それに自分の中にも大きな力となって蓄えられます。月形中2年生、最高だね!

明日の予報は「晴れ」、バッチリ開催できますね。
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こんな素敵な2つの行事、私は用事があって行けないのが本当に残念です。
このブログを見て興味を持たれた方、ぜひ足を運んでみてください。月形の子供たちの生き生きした姿が見られること請け合いです。

2009年01月27日

月形町交流センターの様子

左の写真は、現在建設が進められている「月形町交流センター」です。昨日撮影しました。

工事現場の近くを通ることがなかったので今まで気が付きませんでしたが、既にカバーや足場が外され、全体が見えてきました。
今年4月にはオープンする予定ですので、内装工事なども急ピッチで進められているようです。

2月3日には総務民教常任委員会で、5日には産業建設常任委員会で、それぞれ交流センターの所管部門についての調査を行います。どのような状況になっているのか、(現地視察の様子も含めて)後日皆さんにご報告しますね。

2009年01月26日

画期的な講演会&グループワーク「年をとってもこの町で住み続けるために」

今日の午後、月形町保健センターで「年をとってもこの町で住み続けるために〜自分だからできること・自分にもできること〜」と題した講演会&グループワーク(グループでの話し合い)が行われました。
参加者は40名余り。月形町保健福祉推進員の現役やOGをはじめ、この分野に興味のある一般町民、役場(保健センター)職員と岩見沢保健所職員など。60〜70代の方中心で、9割が女性でした。

この集会は3部で構成されていました。
以下に私の心に残ったことを中心に内容を紹介し、最後に感想などを記します。
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【講演】「年をとってもこの町で住み続けるために
    〜自分だからできること・自分にもできること〜」
 講師:北海道総合福祉研究センター理事長 五十嵐教行氏

◆住み続ける=年をとっても暮らせる場所 ということ。
◆「暮らす」ためには柱が必要。生き甲斐が柱になる。そのためには「自分らしさ」を求めること
◆「自分にとって良いまち」を追求することで、結果的に他の人にとっても良いまちになる
 (町には多種多様な人が住んでいるのだから、それぞれニーズに合わせたまちが出来上がる)
◆「自分らしい暮らし」を自分一人で手に入れられないときは、手を少し借りよう(声を出そう)
◆手を貸して欲しくても素直に声が出せない人もいる。
 その人のプライドを守りながらも手助けするには、ほんの少しの「おせっかい」が有効
◆子どもは、今住んでいる人の暮らし方を見ている。今の私たちの行動が5年後、50年後の月形に影響を与える。
◆地域住民のつながりが暮らしやすさへとつながるのでは。昔から同じことが言われている


【町職員と保健福祉推進員からの話】

1. 月形町住民課保健福祉係 主査 工藤由三子氏
◆月形町の保健福祉推進員は地域と行政のパイプ役として活躍してくれたが、制度は今年度限り。今後新たなに展開していく予定。
◆現在月形町の全世帯数は1,767。うち65歳以上の独居世帯は230、夫婦世帯は221。
(4軒に1件は高齢者世帯)
◆平成20年度の出生児数は16人。 

2. 保健福祉推進員 廣野いづみ氏
◆保健福祉推進員の主な仕事は、住民検診や乳幼児検診のお手伝いと、独居老人宅の訪問など
◆4年間の活動を通して感じたこと
・子どもの数が本当に少なくなった。
・推進員の訪問を楽しみにしてくれている方が多い。(楽しい時間に)30分の予定が1時間半なることも。「日常のことをちょっと頼めるご近所さん」のような役割だと思う。
◆月形町が一つの大きな家族として、みんなが関わり合えたらいいと思う。


【グループワーク】
8人程度のグループ(5つ)に分かれ「月形のいいところ」「自分たちにもできること」などについて自由に話し合いを行った(約40分間)。最後に話し合った内容を前方に張り出し、グループ毎に発表(情報の共有)。進行と書記、発表は各グループに配置された保健師さん達。

〈まとめ〉
◆月形のいいところ とは?
・自然(四季折々の風景や気候の変化)
・人情味がある。ふれあいが多い。当たり前のように交流がある。
 (= 他人をほっとけない人が多い
  → ちょっとした垣根が越えられれば、次につながる可能性がある)

◆自分たちにもできること
・人とのつながりをつくる(声かけ、町内会活動、隣近所の付き合い、仲間づくり)
・交流の場づくり(自ら参加、仲間を連れ出す、場所の確保、役割を与える)
・健康の維持
・リーダーづくり(声かけや交流の先頭に立つ人がほしい)

〈私のグループでの話し合いの中から〉
・月形は人情が厚く、つながりもあって良い。ただ若い頃(関係が薄い時期)は辛かった。
・女性は自然に自分らしく暮らしていけるけれど、男性は自分から声を出せない。
 男性には役(○○長や顧問などの肩書き)を与えることで、人とのつながりを持ってもらう。
・女性の方が長生きで残される(独居になりやすい)。女性同士が助け合わなければと思う。
・手助けする方、手助けされる方ともお互いの間合い、折り合いが大事。
 頼りすぎても頼られすぎても関係が長続きしない。
・[自分らしい暮らしの事例]札比内地区の七十の会、月ヶ岡駅の直売所(野菜の販売)
・保険推進員制度がなくなるのはどうなのか。隣近所と言っても遠く離れていてサポートするのが難しい地区もある。また隣近所とは違った「人のつながり」をもたらしていた。
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私はこの講演会の案内を見て、普通の講演会をイメージして参加しましたが、実際には「グループワーク」がメインの住民参加型の創造的で画期的な会合だったので驚き、嬉しくなりました。

今まで月形町ではグループワーク形式の会合はほとんどなく、講演会と言えば一方的に話を聞くだけでした。今回は少人数のグループで話しやすい雰囲気の中、どの参加者も自らの体験や考えを自由に話すことができ、それなりの理解や満足感を得られたのではないでしょうか。帰り支度の表情がにこやかで明るかったことからも、そう感じられました。
また主催者側(+私)にとっても、町民の細かなニーズや実態を知ることができ、有意義だったと思います。

しかし、企画側(主催者側)としては物足りなさも残ったのではないでしょうか。
この集会の裏の目的として、
・この町で住み続けるために何が不足しているのか
・保険推進員制度に変わる新たな制度設計へのヒントとそれを支えるボランティアの確保
があったのではないかと(私は勝手に)思っています。

今回の集会に参加されたのが60〜70代の方が中心で、それぞれのお話からも既に「自分らしい」暮らしを手に入れている人が多く、きっとこのままの生活で住み続けられるという確信を持っています。ですから新たなヒントと言っても出にくく、またこれ以上のボランティアも難しいのかもしれません。

もしもヒントを求めるのであれば、今まさに不安や不満を抱えている「つながりのない方・薄い方」や、これらの制度を支える「若手や現役世代」の話を聞く必要があると思います。そう考えると、開催日時の設定や周知の方法等でもう一工夫必要なのでしょう。

私は今日初めて保険推進員制度が今年度限りで終了することを知りました。推進員の廣野さんの話やグループワークから、「独居老人訪問」は非常に求められていおり、今後益々需要の増える事業であると感じました。しかし集会後に確認したところ、
・推進員のなり手がいない
・独居宅訪問も予定数を実施できていない(人員確保が難しい)
等の問題があるとのことです。今回の集会では、推進員の仕事の紹介だけでなく(行政側から)問題点や悩みもあわせて伝えることで、推進員の実態を浮き彫りにできたと思います。そうすることで、この制度に対する理解と今後のヒントが出てきたのではないかと・・・。

それにしても、この企画に対し保健所のサポートは素晴らしいと思いました。キチンとリードする方のお陰で充実した講演会&グループワークになったと思います。実践を通して学ぶことができる「役場職員」がうらやましく思いました。

それからもう一つ。この手の集会に参加する男性議員がいないことも気になりました。福祉分野は今もこれからも行政にとって大きな位置を占める問題です。これからの施策にも登場します。にもかかわらず「女性の分野=聖域」と思って、情報収集が疎かになっているとしたら(実際になっていると思うが)問題です。もっと関わって欲しいと切に思います。

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