2010年08月04日

広報特別委員会・・・「議会だより」No.1の発行

恥ずかしながら、月形町議会は今まで議会広報誌を発行していませんでした。道内には179市町村ありますが、広報誌を発行していない議会は片手でも余るほどしかありません。

とは言え、議会の様子は「町報・花の里つきがた」の1コーナーとして、毎定例会後には議案の簡単な内容や一般質問の通告項目など概要は示されていますし、臨時会後にも同様に掲載され、広く町民に周知されています。
しかし、これらは月形町側が記事を書き編集しているもので(内容確認は議会事務局が行っているとのことですが)いわば町側の善意に乗った形です。

本来、議会のことは議会が自らの責任の下に編集・発行する議会広報でなければならないのに・・・。

そんな思いを抱いていた私は、以前から議会広報誌の発行を強く訴えてきました。そして全員協議会での「議会活性化」議論の中で賛同を得、平成22年第1回定例会(今年3月)で広報特別委員会が設置、そして今回第1号の発行に漕ぎ着けました。

広報特別委員会発足後すぐに「第2回定例会後には第1号を出そう」と笹木委員長、楠副委員長そして私の3人の委員で目標を設定し、他の町村の広報誌を参考に内容を詰めていきました。
発足時の議会内の約束で「できるだけお金をかけない」「まずは、できるところから」というものがあり、編集は議員自らがパソコンで仕上げ、印刷は事務局が印刷機で行う事になっていました。また、広報誌が軌道に乗るまでは今まで通り町報に定例会等の内容記事を載せてもらうようにし、「議会だより」は補助的な位置づけに。

そんな折り切手事件が起き、議会もこの件に深く関わることに。この事件については経過も含め、議会としての取り組みの様子を町民の皆さんにお伝えすることが広報特別委員会としては重要と考え、タイミングを見計らっていました。
そして7月20日臨時会と、23日全員協議会で町側から一応の報告を受けたことから、このタイミング(町報・花の里つきがた8月号(8月5日発行)で「議会だより」を発行し、町報に折り込んで全戸に配布することにしました。

何もないところから作り上げるのは大変でした。私自身は議員活動報告書を発行していますが、個人の報告書と議会の広報誌では「格」が違いますし、伝えるべき内容もまた違ってきます。
試行錯誤を重ねながら〆切りをにらみつつ・・・時間との戦いでした。

それでも予定通り発行できたのは、広報委員の力だけではありません。議長や事務局の協力があってこそです。加えて、これを読んでくれるであろう町民の皆さんの「声」を想像できたことも後押しになりました。そして、「もの」を作り上げることで得られる一体感と満足感、議員としての責任感が形にしました。


「議会だよりNo.1」は「平成22年第2回定例会の一般質問」と「切手事件における議会の取り組み」を中心記事にし、議会の仕組みを図式化したものも掲載して全6ページに仕上げました。
どれも月形町議会として町民の皆さんに知っていただきたいことです。議会がどんな活動をしているのか、どんな考えで町政に携わっているのか、まずは知って欲しくて書きました。願わくば、この議会だよりが町民と議会のパイプ役になり、「町民と共にある議会」に発展できたらと思っています。

「議会だより No.1」は、明日全戸に配布されます。

皆さん、お気軽にご意見ご感想などお寄せ下さい。お待ちしています。

2010年07月28日

外からの視点(他自治体議員視察に同行して)

本日午後、道北のある町議会議員の方々の視察に同行する機会を得ました。この視察は議会事務局を通した正式なものではなかったのですが、先方の職員と私が北海道自治体学会で顔見知りであったことから同行させていただくことになりました。

主な視察先は「はな工房」「つち工房」などの皆楽公園エリア。

「宿泊研修施設・はな工房」の建設経緯(農林系の補助事業)や現状、「農業体験施設・つち工房」が現在は(有)コテージガーデンによって指定管理されていること、皆楽公園エリアに様々な施設が建っていることなど、説明をしながら見ていただきました。途中(アポなしでしたが)コテージガーデン社長の梅木あゆみさんからもお話を伺うこともできました。

今回の視察中、他自治体議員との会話には「外からの視点」による素直な感想がありました。
・月形町は施設が集約的なっていて、上手いレイアウトになっている。
・たくさんの施設がある。
・指定管理者制度を上手く活用している(コテージガーデン部分)。
・(夏まつりが開催される)広場もいいところだ。
・建物がきれいだ。

そう言われて、外からの視点で再度皆楽公園エリアを見てみると・・・
確かに公園や周辺環境は手入れが行き届き、刈り込まれた芝生や木々の緑が目に鮮やかでした。また様々な用途の施設(温泉、ホテル、合宿用宿舎、土間体育館、ガーデニング店、市民農園、野球場、パークゴルフ場、水辺、キャンプ場、老人施設、飲食店)が狭い範囲にたくさん建っていること、それぞれの施設は外観も程々に手入れされていることも、再認識させられました。

今までの感覚では、建設時より集客が落ち問題を抱えているという思いや、エリア全体での調和や取り組みが少なく展望が描けないなど、マイナスのイメージばかりが先行していました。

しかし皆楽公園エリアは月形町にとってかなり有用な財産であり、魅力のある場所だったのです。
知恵を絞り、今以上に外に向かって活用したなら、人や物やお金が回るチャンスがあることも確信しました。

見慣れてしまうと良いものも普通に見えてしまい、自らその価値を下げて評価しているのかもしれません。時にはこうして「外からの視点」を素直に取り入れ、可能性を探ることも必要だと、今日は肌で感じました。

○○町議会○○常任委員会ご一行様、今日はありがとうございました。

2010年07月27日

時を越えて届いた札比内小学校校歌

札比内小学校の校歌が松實菱三さんの作詞であることは以前のブログに書きましたが、その後の調査で町歌の作詞者・松実菱三さんと同一人物であることが分かり、そこから素晴らしい物語が紡ぎ出されました。

それは開町130年記念式典の前日に遡ります。

式典に参加するため、松実菱三さんの御息女、五十鈴さんご夫妻が、東京から月形町にお越しになりました。

このブログが縁で「町歌と五十鈴さん」を結んだ私としては、この機会に札比内小学校とも縁結びしたいと考え、事前に教育委員会や札比内小学校と連絡をとって準備を進めていました。

kouka1.jpg7月2日午後3時、五十鈴さんご夫妻と共に札比内小学校へ。

札比内小学校はあと1年9ヶ月で閉校となることが決まっています。子ども達の息吹が感じられる今、校歌が歌われている現場を見ていただきたかったからです。

既に放課後になっていた小学校では校長先生、教頭先生が出迎えてくださいました。

学校の雰囲気や校庭から見える風景、子ども達の様子などを伺いながら、歌詞が表現しているものを案内していただいているうちに、いつしか私は歌詞の世界に引き込まれ、気持ちは作詞者・松實菱三さんと同じ時代に飛んでいました。きっと五十鈴さんご夫妻も同じ気持ちだったのではないでしょうか。

kouka4.jpg7月3日午前9時、式典会場である月形町総合体育館。

受付の始まる一足先に、五十鈴さんご家族(2日の夕方までに五十鈴さんのお子さんとお孫さんが大阪から合流し、総勢7人に。)をお迎えし、2階の会議室へ。そこに札比内小学校の全校児童22人が入場。

kouka3.jpg伴奏が流れ、札比内小学校校歌の斉唱。

普段から歌い慣れている校歌を、自信と誇りを持って堂々と歌う子ども達の姿は光り輝いていました。それを見つめる五十鈴さんご夫妻の瞳も輝き、感激の涙も・・・
その場に同席させていただいた私も自然に涙があふれ・・・

この校歌が作られたのは昭和27年、58年前です。その時から歌い継がれ、今もこうして生きているのです。58年間歌われていると言うことは、札比内小学校を卒業した70歳くらいまでのほとんどの人が歌えるということ。みな作詞者の名前は知らなくても、「♪ 札比内 札比内」と口ずさめるのです。
この場に同席していた桜庭町長も実は札比内小学校の出身で、子ども達と一緒に口ずさんでいたのです。もちろん校長先生や教頭先生、引率の先生も。

会議室内は不思議な空気に包まれ、満たされていました。身体がフワフワと浮くような、夢見心地な雰囲気。「感動」「感激」とはこういう時に使う言葉なのだと、肌で感じたひとときでした。
こんな素敵な場面に立ち会えて、人の縁の不思議さと暖かさ、そして月形の底力を感じました。


この素晴らしい物語のきっかけは、ほんの些細なブログの記事
でした。インターネットという目には見えない『現代の技術』です。
でもこうして、かかわった人の誰もが感動・感激するような物語に発展させたのは『人の行動』でした。
 もし五十鈴さんご夫妻が月形を訪れなければ・・・
 もし教育委員会が段取りをつけてくれなければ・・・
 もし札比内小学校の先生方や子ども達の協力がなければ・・・
その他、多くの人の協力。その行動があったからこその物語なのです。


この物語にかかわってくださった、全ての皆さんに感謝します。
「どうもありがとうございました。」


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このあと式典では町歌も斉唱されました。こちらは月形中学校全生徒87名によるものです。そのことは式典の項で詳しく。

2010年07月06日

平成22年度 北海道町村議会議員研修会

7月1日午後、札幌コンベンションセンターにて北海道町村議会議員研修会が開催されました。

全道各地から約2,000人の町村議員と事務局員を集め毎年行われるこの研修会ですが、本当に意味のあるものになっているのか、ますます疑問に思うようになりました。
コンベンションセンター周辺は全道各地から集まったマイクロバスがごった返し、排気ガスで目が痛いほど。玄関外の喫煙所には大勢集まり、開会前と閉会後(研修最中は分かりませんが・・・)は横をすり抜けるのも大変なほど。2,000人もの人が入った研修会場は参加者と講師とが遠く離れ、スクリーンに映し出される様子を見なければ分からないほど。
このような状況なら、「ネットやテレビの講演でも同じではないか・・・」「まして講師がマスコミに出演するような人なのだから、あえてこの場で聞かなくても聞く機会はある。」と思うのは私だけではないでしょう。

全道から一堂に会し研修を行う意味は? 

私には分かりません。もちろん普段会えない他地域の議員さんと挨拶を交わすことができるのは魅力ですが、同じ思考を持った議員であるなら、この場でなくてもそれぞれの活動の中で会える機会はあるでしょう。また情報交換なら電話やメールもあるわけで・・・

もしこれがワークショップ形式の実践的研修や、町村議会の抱える課題に向かって現実に努力している議会や議員の体験や成果の発表、青年の主張のように「町村議会議員の主張」を募集し発表する場であったなら、どれほど有意義かと考えます。この場に参加しなければ聞くことができない内容であり、創造的な研修だからです。(若手市議会議員の中では主張大会のようなものが既に存在します。)もし機会があったら、執行部に提案したいと考えています。

さて講演内容ですが、要点のみ以下に記します。
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『農業ビッグバンの経済学 ーグローバル化と人口減少時代の農政改革ー』
           経済産業研究所 上席研究員  山下一仁氏

■改革の必要性
・日本の農業は1960年代までの100年間、ほとんど変化していない。60年代以降衰退。
・食料安全保障の上で重要なのは「農地資源(農地面積)」
・戦後700万ha今日まで増やした農地は、現在460万ha(宅地化や耕作放棄などにより減少)
・少子高齢化と人口減少で米の消費量はますます減少。品種改良が進み、反収は増加する。
 → 需要に必要な水田面積は少なくなる = 農地資源の減少

■日本の農業政策
・他の国より高い関税をかけているのに、日本の農業は衰退している。
 → 国内にその原因があるのではないか。
・「高い関税」とは、高い価格で農家を保護していること = 消費者の負担による保護
・財政負担による農家保護 = 中山間地等の制度
・現状では、高い関税による農家保護(4兆円)>>財政負担による農家保護(0.5兆円)
・農業基本法の考え方=米の消費量が下がる中、価格と生産量を上げるわけにはいかない。
           コストを減少させるため、大規模化や品種改良を行う。
・戦後:小作農の解放(農地法の改正)と零細農業構造の改革をめざしたが、
 60年代:農業基本法の考え方を無視し米価を上げる政策(減反政策)をとり、
     第2種兼業農家が残った。

■改革内容
・減反廃止と、対象者を絞った直接支払い(農家所得補償)をセットで行う。
 = 米価の下落により消費者負担による保護は減少。
   直接支払い(財政による保障)で農業の効率化を促進
・年々、中国産米の価格は上昇している(中国の労働コストが上昇しているため)
 → 日本産米の価格下落が起きれば国際競争力がつき、中国産米とも渡り合える。
○減反政策を廃止し、対象者を絞った直接支払いを行い、米を海外に輸出することで、
 日本の農業を守ることができる。

『政局展望』    白鳳大学法学部 教授 福岡政行氏

■7月11日投開票の参議院選挙の状況について
■民主党政治について

※選挙期間中なので、ここに内容を記すことは不適当と判断しました。
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今年の北海道自治体学会シンポジウムのおり、石井吉春先生(北大公共政策大学院教授)も山下氏の講演内容と同様のお話しをされていました。第一線で活躍する経済学者が同様の考えを持って農政を見ていることに興味をそそられました。

私は上記の考え方が理解できるものの、農業の多様性や多面性は必要と考えています。今も一部で行われている「生産性と関係しない直接支払い」「環境直接支払い」「条件不利地直接支払い」などの制度も、『農地の維持』という観点で今後も継続されるべきと考えます。効率化を優先し大規模化や集約化を進めたとしても、自然条件に左右されたり不慮の病害の影響を受ける農業は、リスク分散が何よりも重要と考えるからです。

農政については様々な考え方や地域特性があることから、今後も注意深く見つめ、学びも深めていきたいと思います。

2010年07月01日

平成22年度 月形町戦没者追悼式

本日午前、樺戸神社境内脇の忠魂碑前で「戦没者追悼式」が行われました。
朝からいつ降り出してもおかしくないお天気で、40分ほどの式典途中には雨の落ちる場面もあり、いつになく寂しさと悲しさが同居する追悼式になりました。

今年は戦後65年。参加する遺族の方はますます少なくなり、10人ほど。お身体が不自由になった方も多かったのですが、精一杯の追悼の気持ちを献花に込めている姿が印象的でした。

折しも今年は開町130年。そして今日がその当日でした。

挨拶に立った代表者の言葉にもそのことは詠われ、明治初期にこの地を拓こうと決めた人々も、そこに強制的に集められ北海道の道路を拓いていった人々も、「戦争」によって命を落とした方々も、月形町の130年の歴史のページにあることを実感しました。

「先人の労苦の上に今の私たちの生活がある」 まさしくその通りなのです。

戦争体験が平和への祈りとなり、戦後65年の現在、日常生活に戦争の気配をほとんど感じません。
昭和40年代、年間1万人以上の死者が発生した「交通戦争」も多くの努力で改善し、「戦争」とは呼ばれなくなりました。

しかし現代社会には「戦争」と呼ばれるに匹敵する「年間3万人を超す自殺者」の存在があります。時代時代に「戦争」と呼ばれる課題があるとすれば、私たちはこの自殺の問題を真正面に捉え、克服していくことが、先人の労苦に対して報いる一つの方法なのではないかと考えさせられました。

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