2012年04月25日

『震災がれき処理』をどう考えますか?

「震災がれき処理」については今月初めに北海道新聞で特集が組まれ、その中で北海道知事と札幌市長が正反対の意見を述べていました。各自治体の首長も判断を迫られている状況ですし、道民の関心も高い事柄になっています。

そしてここ数日のこと、北海道自治体学会のメーリングリストで「地域の自治」をテーマに議論が展開されているのですが、そこに事例として「原発の再稼働」や「震災がれき処理」が取り上げられました。
私は以前から廃棄物に関心があり、廃棄物資源循環学会の会員であることもあって、このメーリングリストの議論に参加、自分の考えを書き込んでいます。

この『震災がれき処理』の問題は非常にデリケートですが、限定された場所であっても自分の考えを表明した以上、このブログにも掲載しオープンな議論を展開したいと考えています。

以下に、私がメーリングリストに書き込んだ文章をそのまま掲載します。これに対する皆さんのご意見やご感想などをぜひお寄せください。匿名でもOKですので、どうぞよろしくお願いします。
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月形町の宮下裕美子です。

皆さんの意見に触発されて、標題とは少しズレるかもしれませんが、1つの視点として書き込みします。

○○さんから「核」関係の話題が出ました。

泊、がれき受け入れ、幌延、大間・・・私自身が物理的に近いものだけで、こんなにあります。
今後、この問題のいわゆる「立地地元」自治体が過去の原発立地自治体と同じ決定をした場合、私は躊躇なく、その自治体を加害者と呼ぶつもりです。

泊、幌延、大間=核関連施設の再稼働や建設等については、
 ■ 福島第1原発の検証が不十分な段階で進展はあり得ない。
   (原因究明がなければ的確な対策が打てないから。)
 ■ 核廃棄物の安全な処理が確立されていない状況で、これ以上核のごみを出し続けること
   (=原発を稼働させること)が最も大きな問題。
 ■ 3.11の地震以降、活発な地震活動が起きていて、またいつ大地震が起きても不思議でない状況。
などの問題点と不確かな状況があります。現状ではまだ、立地地元が判断をする次元の問題ではないと考えます。


一方「がれき受入」は、これらと同列の問題ではないと考えます。
「がれきの受入」は既に起きたことの後始末であり、実態把握が充分にできる問題です。調査と調整は必要ですが、各自治体が独自の視点で判断できる問題だと考えます。

というのも、反対理由としてよく言われる
「放射性物質が含まれる可能性があるがれきであるから、受入は危険性が高く将来にも禍根を残す」
は1つの視点にすぎず、必ずしも現実を表していないと思いますし、むしろこの考え方には誤解(北海道が「清浄な大地」という思い込み)があるのではないかと思うからです。

今回福島原発の件があって、放射性物質や放射能に対して敏感になっていますが、過去を振り返れば、放射性物質が大気中に放出されたことは何度もあります(チェルノブイリなどの原発事故、戦争や戦闘時の原爆や劣化ウラン弾の投下、原・水爆開発実験など)。それらから排出された放射性物質は、極薄くではあるものの地球全体にまき散らされて、もしそれらが活発に行われた時期に今と同じ精度の観測機器と敏感な意識があれば、北海道でも放射能を観測できたでしょう。

つまり地球上に「清浄な土地」は既に無く、今語られるべきは「定性でなく定量=放射能があるかないかではなく、どの程度含まれるか」になっています。


この視点で今回の「がれき受入」を考えると・・・
 ■ 対象となるがれきは宮城県、岩手県のもののみ
 ■ 搬出時に測定し、放射能が基準値以下のもの
 ■ 放射性物質が付着しているとしても、その発生源は福島原発事故時。
   放射能は付着時をピークに減少している。(全ての放射能が完全になくなるには数万年を
   要するかもしれないが、少なくとも発生時より増えることはない。)

であり、監視は充分可能です。基準値が適正かどうかが意見の分かれるところですが、現状で示されている数字は様々な事象から総合的に検討された値であって、(定量的に)妥当性があると考えます。(現在の科学は物質の組成をある程度分析でき、それを定量的に管理して活用しています。絶対安全はあり得ませんが、安全性の高さは考察できます。)

これらを踏まえた上で、各自治体が判断すればいい=判断できる次元の問題と私は考えます。


今、放射能や放射性物質が大きく取りざたされ不安の元凶になっていますが、知らないから不安になるのであって、現実にはもっと注意しなければならないことがあるのではないでしょうか?
「震災がれき」に関しても、極わずかな放射性物質よりも、野積みしている「がれき」が自然分解していく過程で大量に発生するメタンを代表とする様々な物質は、周辺住民に様々な影響を与えます。それを早急に解決するには周辺からの手助けが必要で、私たちがその手段を持ち合わせているとするなら、私たちは行動すべきと考えます。

2012年04月18日

故林かづきさんを偲んで

江別市議会議員だった林かづきさんが、昨日亡くなりました。まだ42歳、子宮体がんでした。

今朝、自治体学会のメーリングリストで訃報を知り「えっ!」と驚いたのは言うまでもありません。一年前から闘病していたのは知っていたのですが、快方に向かっているとも聞いていたので・・・
残念です。


私と林さんはともに平成19年の統一地方選で初当選した、いわば同期です。

林さんは石狩管内の市議、私は空知管内の町議。組織が分かれているので通常の議員活動ではまず出会わない二人でしたが、お互い足の向く方向が同じというか、議員になってすぐから様々な勉強会や講演会で顔を合わせるようになり、(私にとって)気になる存在になっていきました。

というのも林さんはいつも、わずかな休憩時間や終了後に講師の先生と名刺交換したり、談笑したり。年齢も近く同姓で同期でありながら積極的で自信にあふれた姿は、私にとって「ちょっと先を行く」存在でした。「私も頑張らなくっちゃ」と、私のシャイな部分を奮い立たせる原動力になっていたのです。


その後、月日を重ねるうち同じ壇上に上がる機会(地方自治土曜講座「議会は変わるか? −議会改革の諸問題−」)を得たり、林さんの発表(北海道自治体学会フォーラム in えにわ2010北海道自治体学会・政策シンポジウム、他)を聞いたり。次第に意見交換や議論をするようになっていきました。

林さんと私の目指すものはたぶん同じです。ただ林さんは政治に関わることを念頭に勉強を重ねてきた人で、法学部出身、公共政策大学院修了、国会議員秘書も経験した正統派。かたや私は政治とは全く無縁の学生生活を送り、農業や子育てをしていくうちに議会の重要性を感じて議員になった人間。
同じものを目指していても方法論が違ったり、視点が違ったり、いつも新鮮な議論ができました。


他にも林さんから影響を受けたものはいくつもあります。日々のブログやホームページはいつもチェックし動向に興味を持っていましたし、「林かづきの市政広報誌/江別から笑顔を発信!」や雑誌への寄稿文(日経グローカル2010年9月20日号「奮闘地方議員」他)では、発信力や考えを文書に残すことの重要性をいつも示してくれました。

折しも現在、私も日経グローカル「奮闘地方議員」への寄稿文を準備中で、つい最近、林さんの原稿を読み直したところでした。リズム感とまとまりのある文章に流石だなあと。私もこんな風に考えをまとめられたらと・・・


色々思いだし、何だかまとまりません。
いずれにせよ、林さんは私にとって同志でした。謹んでご冥福をお祈りします。
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実は林さん、4月9日に江別市議会議員を辞職されています。体調がすぐれず市民の負託に応えられない以上、議員ではいられないとケジメをつけたとのこと。また、本日の葬儀も林さん本人は「家族葬」を希望していたそうです。
(ただご家族で話し合った結果、支援者や地域のみなさんに最後のご挨拶をすべきと考え「偲ぶ会」「お別れの会」の形になったとか。葬儀会場にはあふれんばかりの参列者が訪れ、林さんの死を悼みました。)

いずれも「林さんらしい」。きっと誰もがそう思っていることでしょう。

林さんが亡くなったことで、人生の儚さを痛感しました。それと同時に、私たちには限られた時間しかないことも。
特に議員として活動できるのは様々な環境が整い選挙に出て当選してからの任期中、それも健康である期間だけです。思いのほか短いのかもしれません。だからこそ、現職の議員である私たちは、議員にしかできないことをしなければ。

議員に不作為は許されない。再認識した今日です。

2012年04月08日

「北海学園大学・第72回現代政治研究会」に参加して

平成24年4月7日午後、「北海学園大学・第72回現代政治研究会」に参加、好奇心と向上心を刺激され、今抱えている課題の糸口も見えてきました。

この「現代政治研究会」とは、北海学園大学法学部の先生方と大学院生、そのOBからなる研究会で、既に15年以上の歴史があるとのこと。毎回一人の先生が報告者となり、研究内容について報告と問題提起を行って参加者と議論や意見交換をしているそうです。
私はメンバーではありませんが、今回の報告者である森啓先生にお声かけいただき参加する機会を得ました。私と同様の一般参加者(勉強会等で顔を合わせる方々)も多く、普段の研究会より開かれた雰囲気だったようです。(参加者約30名)。

さて、今回の研究会のテーマは『市民行政の可能性』、講師は森啓先生です。
その内容は森先生のブログ「自治体学」で詳しく述べられているので、ご参照ください。

ここでは私の解釈と感想を報告します。
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■報告「市民行政の可能性」を私的に解釈すると・・・

・地方自治、市民自治へ向かおうとする今、[行政]とは何かをもう一度考える必要がある。
・社会の現状を見ると、〈これまでの行政〉の枠や概念を変えないと解決できない問題がでてきた。

・〈これまでの行政〉は、いつの間にか中央集権(中央政府=国に責任と権限が集中している状況)
  が進む仕組みになっている。大学で教える行政法学、公務員の基礎となるの地方公務員法、
  地方行政を規定する地方自治法でさえも、考え方の基礎は〈国が統治する=統治理論〉である。
・〈これまでの行政〉は、法を執行するための機関(=法を守ることが最優先の公務)。

・〈市民自治のための行政〉は、地域課題とその方策を盛り込んだ[政策を実行する]ための機関。
・〈市民自治のための行政〉における公務とは、公共事務、自治事務のこと。統治事務ではない。
・〈市民自治のための行政〉では、不作為(為すべきことをしなかった)の責任が問われる。
・[市民自治]や[政策の実行]は公務員だけでは解決できない。市民の主体性が必要。

・[市民自治]を進める方策として《市民行政》が考えられる。
・《市民行政》とは、市民が行政職員(公務員/役場職員)と同じ仕事を役場内で行うこと(※)
  例)過去には庁舎の受付/清掃/警備も公務員の仕事だった → 現在は外部委託されている
    総合計画や行政調査も表向きは公務員の仕事 → 実態はコンサルタント等への外部委託
    公共施設の管理 → 指定管理で民間へ  
    図書館は公共施設 → 「ニセコ町あそぶっく」は町民のみで運営
 ※この件に関しては会場からの意見あり。次に詳しく。


■《市民行政》に様々な意見・見解

○市民が行政の仕事をになうことは可能。既にコンサルタントの活用や外部委託、指定管理制度など
 様々な方策がとられている。変化している。
○《市民行政》とは、現状取り入れられている補助的な作業(パートや嘱託)ではなく、企画・立案
 も含めたもの。ニセコ町あそぶっくの活動も現業に近く、まだ充分ではない。
○市民が役場内で職員と同様の仕事をすることで、市民の主体的参加が促される。職員も変わる。
○市民が行政に参画しても、いつしか包摂される(取り込まれる。同質になる)のではないか。
 市民の参画が有効に働かない可能性がある。
○市民行政を進める過程で注意すべき点がある。
 大阪・橋本市長によるハシズム状況下では、市民は職員の監視役となり得る。危険性がある。
○市民行政まで一足飛びに行く必要があるのか? 地方公務員法の改正で対応できないか。
○海外では(防衛や外交を除き)役所の仕事のほとんどをNPO等が担っている。
 行政の変革は難しく、無理かもしれない。ならばNPOの活用をもっと積極的に進めるのも方策。
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■感想

森先生による「市民行政の可能性」については、先生のブログや昨年11月に行われた「市民参加手法の公開研究会」でも取り上げられた内容なので、私なりの考えも持って臨みました。が、それぞれ専門分野を異にする先生方の多面的な考察は非常に興味深く、「なるほど、そういう視点もある」と納得させられ、考えも広がりました。

私は法学的な基礎がない中、実践経験から理想の行政像を描き議員活動を続けてきました。その中で森先生の提唱する〈市民自治〉は共感するところが多く、理解もできます。
しかし、本会議場で役場管理職や理事者と対峙すると全くかみ合わない場面がしばしば。同じ方向を目指しているはずなのに、なぜこうも理解し合えないのか不思議に思っていましたが・・・この研究会での議論で納得することができました。

役場職員が入庁して最初に受ける初任者研修、自治大学校での教育あるいは先輩職員の指導も、全ては既存の行政法学(地方公務員法、地方自治法を含む)です。知らず知らずのうちに中央集権の統治理論がすり込まれ、いくら勉強熱心でも、時代の変化になじめない、変化を受け入れられない土壌が形作られていたのですね。

それでも今回参加していた数名の自治体職員からは「実態に即し現場は変わってきている。」とあり、大学の先生からも「行政法学の講義も多少変化してきている。」との発言もありました。明るい兆候です。

地方自治、市民自治を進める上で役場職員と町民(市民・住民)の相互理解と協力は必須。ならば、議員である私の仕事はそれぞれの橋渡しをすること。基礎概念の違いを充分に頭に入れて、お互いが理解し合える思考の道筋を作っていくことが私の役割なのでしょう。

最近、行政との分厚い壁にぶつかり、打開策が見つからないまま手をこまねいていた私ですが、この研究会で少し光が見えてきました。
参加できて良かったです。ありがとうございました。
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【備忘録として】・・・心に残しておきたい言葉
☆ 「知っていること」と「解っていること」は違う。
☆ 今、その時に行動・発言することが、特定の権力を持つ人のやるべきこと。
☆ 参加しながら抵抗する場面もある。大事なのは自分が決定すること。自分で考えること。
☆ 自己革新が大切。

2012年03月28日

【一般会計予算に対する附帯決議】の意味

定例会から間が開いたり、他の記事と前後してたりで、ちょっと食傷気味に感じている方もいらっしゃるかも知れませんが・・・もう少し我慢してくださいね。

先の日記にもあるように、今年の定例会には【月形町議会初】というものがいくつもありました。そのなかで、「平成24年度月形町一般会計予算に対する附帯決議」もまた重要な意味があったと考えています。

そもそも【附帯決議】とは・・・
「議決された法案・予算案に関して付される、施行についての意見や希望などを表明する決議。法的拘束力を有しない。」のこと。議会の意思表示と捉えればわかりやすいと思います。

議会が意思表示をする別の方法として「委員長報告」というものもあります。こちらは議会の中で日常的に行われているもので、今定例会においても、予算特別委員会に付託された議案(平成24年度の各会計予算と関係する条例)を採決する前に行われました。個別審議や総括質疑で様々な指摘や意見があったことから、いつにもまして厳しい内容になりました。

この流れを踏まえた上でもなお附帯決議(内容:予算の執行に当たっては、町民の安心と安全、地域経済活性化を念頭に、事業の緊急性を加味しながら慎重な執行をすること。)を行ったのは、平成24年度が特別な年になると考えたからです。
※私は発議者として提案理由説明を行ったので、私の考えを基に説明します。


大きくは【町の財政】の問題です。
一般会計は地方交付税の恩恵を受け維持できていて、様々な住民サービスも盛り込まれています。一方、特別会計(特に、国保/介護/病院)の危機的状況は平成24年度で3年目になります。過去の予算委員長報告でも触れられてきましたが、町全体としては何ら改善の兆しは見られず、今年も同様の傾向です(その背景には国の制度的な問題があるのですが、それはそれとして現実的な問題が目の前にあります)。

昨年は国保税が大幅に引き上げられ、今年は介護保険料の大幅引き上げです。町民の負担感が増す中、町民/理事者/議会が危機感を共有することが一つの狙いになっています。

それから【今冬の豪雪】です。
月形町の今冬の豪雪は観測史上最高であり、70歳にもなる人たちが「こんな雪は初めて」という程でした。町は現在、地域経済に影響を与えるパイプハウスの被害に対して助成をする意向を示していますが(報道では1億円規模)、被害はハウスだけではないはず。雪融け後、公共施設やインフラ、柵などの公共物の予期せぬ補修が必要になるでしょう。それらの修繕費を捻出しなければなりませんが、今回議決された予算は豪雪被害が深刻さを増す以前に組まれたものなので、ほとんど見込まれていません。

今回の提案理由で触れてはいませんが【国の動向】も頭の隅にありました。東日本大震災後1年が経過し、いよいよ本格復興が始まるでしょう。国の財政問題や社会保障と税の一体改革の動向、地方分権と税源移譲、消費税率改定・・・。地方交付税に頼る財政運営をしているだけに、国の状態が不安定で先が見えないことも危機感を募らせています。


月形町議会初の附帯決議でしたが、議決の際の反対討論で堀議員から「当たり前のことを言っているのだから、あえて附帯決議にしなくても良いのではないか。委員会報告に盛り込まれていることで充分ではないか。」とありましたし、一部の職員等などからも同様の意見を聞きました。

私は「委員会と本会議の議論は全くの別物」と考えています。
委員会は議会と実務担当者との議論ですが、本会議は議会と理事者の議論です。便宜上、本会議に職員が出席していますし答弁もするでしょうが、執行機関の最高責任者である町長(理事者・執行者)と正式に対峙できる唯一の場が本会議です。だから、本会議の附帯決議は理事者に対する議会の態度表明になると考えます。

以下に議決された附帯決議を掲載します。
なお、本会議における附帯決議は賛成6(大釜、宮下、楠、金子、宮元、平田)、反対3(堀、鳥潟、金澤)で可決されました。
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     平成24年度月形町一般会計予算に対する附帯決議

 月形町財政は、近年の地方交付税増額の恩恵で財政規模を維持することができ、多様な住民サービスが提供できている。しかしながら、経常収支比率は高止まりし、他会計へのルール分以外の繰り出し金が増えている実態もある。総合的に見て、必ずしも安定・良好な状態とは言えない。

 特に特別会計においては懸念材料がある。介護保険事業特別会計は年々支出が増大、会計規模が膨らんでいて、平成24年度予算では基金の取り崩しと保険料の大幅な値上げでバランスをとった。国民健康保険事業特別会計においては、平成23年度の保険料の大幅値上げで平成24年度の収支均衡はとれているものの基金は底が見え、綱渡り的状態は続いている。また町立病院事業会計においては数年来の赤字体質は変わらず、事業の展開によっては追加の繰り出し金も視野に入れなければならない。

 これら財政の動向は国の政策に左右されるところがあり、町独自の改善では及ばない側面もある。しかしながら、多くの自治体が同様の条件下で最善を尽くすべく努力している状況でもあり、月形町も町民生活の向上と地域経済活性化、財政健全化を目指し更なる努力が必要と考える。

 加えて、この冬の降雪・積雪は、豪雪地帯の月形町においても未曾有の事態となった。大雪被害は町民生活や地域経済全体に深く及び、今後も雪融けとともに被害の拡大が憂慮される。これらは予算案作成以降の事象でもあり、今後の復旧にあたっては更なる支出の増大が見込まれる。

 このような状況を鑑み、平成24年度一般会計予算全般について、以下の点を強く要望する。

                       記

 予算の執行に当たっては、町民生活の安心と安全、地域経済活性化を念頭に、事業の緊急性を加味しながら慎重な執行をすること。


この内容は、他の特別会計、事業会計についても同様である。

以上決議する。


2012年03月09日

月形町・ハウス復旧で半額助成【2012.3.6 北海道新聞朝刊】の反響と個人的見解

『月形町 ハウス復旧で半額助成』という見出しの新聞記事(2012年3月6日 北海道新聞朝刊)への反響が大きく、私のところにも各方面から多数の問い合わせが来ていますし、直接多くの方と議論や意見交換も行っています。

議会での取り扱いは前のブログで紹介したとおり非公式な場で協議した段階です。金額的にも内容的にも今までにないものだけに慎重な議論が必要ですし、公平性や透明性の確保をどうするか意見の分かれるところでもあります。
現段階は、議案として提出されたわけでなく採決も行っていないので、議会の方向性(議会の判断)が確定したわけではありません。議会としての正式なコメントはできない状況です。

とは言え、地域や社会の関心が高い事業であり、新聞で公表されている内容もあるので、この件に関する私見をここに記したいと思います。

ハウス復旧で半額助成 月形町 雪害で独自支援策 [北海道新聞 2012年3月6日朝刊]

【月形】空知管内月形町は5日、記録的な大雪に伴い農業用ビニールハウス損壊の被害が相次いでいることを受け、復旧にかかる資材購入費の半額を農家に助成する独自の支援策を発表した。
 町と月形町農協は、町内の農業用ハウス約1500棟のうち被害は約600棟に上ると推計。同町はこのうち300棟が全壊、残りが半壊と見て試算し、支援事業費は9720万円を見込む。5日から調査を始め、被害が確定次第、補正予算に計上する。
 記者会見で桜庭誠二町長は「町内の農業生産額の半分は施設園芸の花きや果菜類が占めており、営農計画を立て直す農家のため、早急に支援を決めた」と述べた。

月形町の基幹産業は農業であり、総生産額22億円のうち11億円を施設園芸(花き・果菜)が占めていて、町長の発言にも「生産額の半分を占める」ことが強調されています。しかしそれ以上に重要なのは、施設園芸が【労働集約型農業=たくさんの雇用を生み、資材投入額も大きい】である点です。

以下が、私の認識する『施設園芸の特徴と月形町における位置づけ』です。
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【雇用の場=人口維持】
雇用の場が少ない地方において、労働集約型農業はとても重要な雇用の場です。小規模経営も可能で農業者数が多いのはもちろんですが、花きや果菜は軽作業も多く、高齢者や女性の職場として重要な位置を占めています。

【地域経済の牽引役】
土地利用型(米・麦・大豆等の栽培)に比べ資材投入費(肥料、農薬、ビニール等の栽培資材、段ボール等の出荷資材、他)は格段に大きく、資材の取扱業者や金融機関にとって重要な顧客になっています。
また、売り上げの回収サイクルが早いことも特徴で、地域経済を回す原動力になります。
それに、間接的には雇用されている人々の経済活動もあります。
様々な側面から、生産額は11億円であってもその経済効果はその何倍にもなり、経済重要度は見た目以上のものと言えます。

【耕作地の維持】
中山間地の月形町にとって施設園芸はなくてはならない農業形態です。国は大規模化を促進していますが、耕地面積を広げるにはいくつかの条件があり、山に近い月形町では適さない土地が多くあります。また転作作物として奨励してきた歴史もあります。
農地の有効活用のためにも、耕作放棄地を出さないためにも、施設園芸は必要です。

【農村部の地域維持=農家戸数の維持】
農道や灌漑(かんがい)施設を含む農村部の地域維持は、農業者を中心とした地域組織が担っています。草刈りや排水溝の掃除など人手が必要な部分も多く、ある程度の農家戸数がなければ維持できません(労働を金銭で補完する仕組みはありますが、全てを依頼できるほど農業収入が多くないのが現実です。)。
国の施策である大規模集約化・土地利用型農業を進めることは農家戸数を減らすことにもつながるので、地域の特長を活かした農業(月形町の場合は施設園芸)で農家戸数を維持することは非常に重要です。

【地域の一翼】
地域を守るという観点から農業を見ると、土地利用型の大規模農業と労働集約型の施設園芸が混在することで地域全体をカバーし、最も効率的で競争力のある『地域産業』になると考えます。
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これを踏まえた上で今回の豪雪状況を見ていくと、(全容は解明されていませんが)パイプハウスが大きくダメージを受けたことは予見できます。何らかの対策をとらなければならないのは明白でしょう。

しかし「パイプハウスは個人資産だから税を投入することはどうか」という意見もあります。

月形町における施設園芸の位置づけを考えた場合「パイプハウス=生産インフラ」とも考えられ、その整備が地域社会全体に波及するのであれば、私は問題ないと考えます。つまり「地域振興策」「農業振興策」としての支援です。

ただし投入には「公平性」と「透明性」が担保されなければならず、そのための「評価軸」が必要です。また豪雪がきっかけとなって支援するのですから、次に建てるハウスには危険回避=強度強化の考え方も必要でしょう。いずれにせよこれらは「政策」です。明快な理論(根拠と具体的な施策)が必要になってきます。
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マスコミを通し「パイプハウス支援の具体的な数字」が公表されましたが、表現が端的で誤解を招く部分があったのが残念です。また町側も、政策意図や理論がまだ充分に定まっていないようで、時によって表現がまちまちなのが気になります。

もし議決を経てからの公表であれば、この点は解消されたでしょう。しかし「営農計画を立て直す農家のため、早急に支援を決めた」と町長が言うように、この施策の場合はスピードも欠かせません。スピードを重視した分、説明不足になってしまったとすれば、そこをフォローするのも議員の役目と思います。

そこで、この件について、3月定例会の一般質問(3月14日)でとりあげます。
詳しい質問内容は次のブログに。今回の論点は「農業振興策」か「災害復旧」なのか、です。

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