2011年03月26日

しばらく更新できずにスイマセン

ここ1〜2週間、更新できずにスイマセン。ちょっと風邪をこじらせてしまいました。
でももう大丈夫です。

先のブログで「いつか役立つ日のために、体調を整えておこう」なんて言っておきながら、自分がダウンしてしまうなんて! ちょっと情けないです。
ただ、この大震災は被災者だけでなく日本中の人に精神的影響を与えているのも事実。私自身、連日の報道に目を奪われ、共感し、免疫力が落ちていたようです。自分の体力を過信していたのもあるかもしれません。

風邪で寝込んでいる間、色々考えさせられました。
きっとこの経験は次に活きます。そう信じてます。

「生きる力(生き抜く力)」は、経験によって培われるとか。辛い目にあっても何とかしのげたことで、その経験が自信になるそうです。また辛い目にあっても「あの時何とかなったんだから」「これさえ過ぎれば明日が来る」と希望を持つことで生き抜けるとも。体力があることだけが「生きる力(生き抜く力)」があるとは言えない・・・なるほどです。

高齢の方々のこうした「生きる力(生き抜く力)」を活かしていければ、日本はもっと生きやすくなるのではないでしょうか。

2011年03月18日

声をかけ合おう[東日本大震災から1週間]

あの大地震が発生して1週間。
まだ1週間しか経っていなかったのか・・・
それほどこの1週間は重くて、悲しくて、たくさんのことが在りすぎた1週間でした。

地震発生からの3日間、ちょうど週末だったこともあって、私はテレビに釘付けでした。津波が日常を飲み込む様には心が凍りつき、そのあとの惨状には驚くばかり。私は家族と共にそれまでと同じ生活をしているにも関わらず、会話は減り、家事もしたくない状態。日常の当たり前のことが全く手につかず、すっかり心を奪われていました。

そんな私を辛うじて現実の世界に引き戻してくれたのは「議員としての仕事」。定例会の会期中だったからこそ、ほんの少しだけ我に返る時間が持てたように思います。

それでも日を追う毎に気持ちは沈み、何とも言い難いよりどころの無さ。

そんな時に目にしたのが・・・
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【精神科医・香山リカさんのコラム(一部抜粋) 北海道新聞3月16日朝刊】

 * たとえ直接、大きな揺れを感じたり津波を目撃していない人でも、
    かなりリアルな「疑似体験」をしている。
 * これからは日本中がお互いを支え合い励まし合って、立ち直っていかなくてはならないのだ。
    そのためにも、まずすべきことは、自分で自分を守ること。
 * ゆっくり体を休め、食事をきちんと取り、お風呂に入って体をあたためる。
 *「あなたの力が必要」と言われるその日に備え、自分の生活と健康を守る。
    それが今、私達にできる最大限のことなのではないだろうか。
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確かにそう、焦っても何もならない。
被災した人とは比べものにならないけれど、振り返ってみたら適当にしか食べてなかった。
子ども達にも、ちゃんとしたものを作ってなかった。
目の前にいる大事な家族や自分をないがしろにして、何も始まる訳がない・・・

ちょうどその頃、無性におしゃべりしたくなってママ友(子どものお母さん友達)のところへ。
彼女も同じ記事を読みハッとした、と。他にも、避難所で中学生が作った「がんばろう高田。命あることを喜ぼう」というポスターに感動して涙した、と・・・
同じ気持ちでいる人が身近にいたことが、おしゃべりをしにいつでも会いに行ける友達がいることが、どんなに心強いことか。少しずつ前向きになれている自分を感じられるようになってきました。

ああ、人と声をかけ合うことでこんなにも元気が出るんですね!

そして今日届いたメールマガジンにもこんなエピソードが・・・
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【河合薫:大震災 孤立して諦めかけた私を救った“声の力”  日経ビジネスON LINE】

内容は・・・仕事のあと水戸駅で被災した筆者。見ず知らずの土地で、何も解らない中に放り出されてしまった状況にあって、その不安と孤独感で諦めかけていたところを現実に引き戻してくれたのは、周りの人の何気ない「声」だった。

 立ちすくんでいる人、困っている人がいたら、「大丈夫?」と声をかける。どう声をかけていいか分からなければ、ただただ声を出して、たわいもない話題を共有する。たったそれだけでいい。それだけで、「人」がそこにいる意味が生じ、「人」を助けることができるのではないか。
 声を出す。簡単なことだ。見知らぬ人に声をかけるのは勇気がいる。でも、声を出せば、そこでつながりが生まれることだってあるはずだ。
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ちょっと身内の話ですが・・・

私の実家は栃木県。東北地方程ではないものの大きな揺れを記録し、母とは3日目でやっと連絡が取れました。
母は宇都宮市内の公共施設ホールで震度6強の揺れを体験し、天井から埃や物が降ってくる中脱出。友達と一緒に急いで車で帰宅途中、大きな余震が何度もあって「運転していて大丈夫か」と何度も思ったと。
この体験をしてから2日以上経ったときに初めて電話が通じたのですが、その時の母の声は暗く沈んで震え、その時の恐怖感がそのまま。父も一緒に生活しているし、弟夫婦も近くにいるのに、「何も考えられなくて」「何もやる気が出なくて」と。木造築60年以上の自宅の被害は、食器がいくらか割れた程度だったけれど、余震が続いている中の生活は不安がいっぱいだったのでしょう。

それから母に電話をしたのは、計画停電が実施された時、原発事故が拡大した時。話し始めは不安そうな声も、近況やコラムの話しをしているうちに声が明るくなってくるのがわかりました。

そして今夜、震災後初めて母から電話がかかってきました。
「明日、福島県から原発事故の影響で避難している人が、地域ごと700人近くが近所に避難してくるから、炊き出しの手伝いに行ってくるね。」
「裕美子が言ってたように、ちゃんと食べて、ゆっくり休んで良かった。必要とされる日が来るんだね。頑張ってくるから。」
その声は明るさと元気を取り戻し、いつもの母になっていました。
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地震発生から1週間。
被災した皆さんは体力的にも最もきつい時期ではないでしょうか。直接手をさしのべられない今の状況にもどかしさを感じ、ただただ良い方向に向かうことを願うばかりです。
また支援や救援に取り組んでいる方々、原発事故を少しでも食い止めようと頑張っている皆さん、本当にありがとうございます。皆さんの活動を心に刻みます。
そして犠牲になった方々、ご冥福をお祈りします。

私に今できるのは、まずは「必要とされる日」のために、しっかり体調を整えること。今、目の前で展開されていることをできるだけ記憶すること。
そして『声をかけ合うこと』。
『声の力』を実感した私だからこそ、素直に、積極的に、身近な場面で声をかけようと思います。

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2011年03月12日

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

被災したみなさん、救援・救助に参加されているみなさん、それぞれの持ち場で働いているみなさん、本当にお疲れ様です。一刻も早くみなさんがホッとできることを願っています。
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3月11日午後2時46分、地震発生時、私は郵便局にいました。局内に流れるテレビに「緊急地震速報」のテロップと緊急音が流れ、「えっ?!」と思っていると、ゆ〜らゆ〜らとした長周期の揺れを感じ・・・なかなかおさまらない揺れに不安を感じ外を見ると電線が激しく揺れ・・・いつ揺れがおさまったのかもわからない感覚、ずっと目まいがしているようでした。[月形町は震度3]

その時には既にテレビに「大津波警報」に「えっ!!」。これはただごとじゃないと思って急いで家に帰ってからはもう、テレビから目が離せず何も手がつけられません。

次々と映し出される津波の映像は想像を絶し・・・発生から1日半の間、刻々と伝わってくる被災状況、様々に広がる影響・・・震源が面のように広がるプレート型の地震の凄まじいエネルギーにショックを受けました。

「大きな揺れ」「大津波」「太平洋岸一帯での被害」「連動する地震活動」
「原子力発電所でのトラブル」「避難場所の確保」「物資の配送」
「電話やメールの不通」「安否確認」「帰宅困難者」

様々な影響と課題を見せつけた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)。
現段階では、自然の脅威と畏怖、そして人間の力の儚さを感じずにはいられません。
ただこれから先、きっと人間の底力でこの難局を立て直すと信じています。

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2011年01月12日

今後のゴミ処理について

今朝の北海道新聞朝刊・空知版に

『月形町とのゴミ中間処理 美唄市先送り表明へ』

という記事を見つけ、やっぱり! 計画通りに進んでいないことの報告は受けていましたが、1年先送りとなると話は別です。大きい自治体に振り回されている現状にガッカリしました。

月形町では一昨年来、美唄市と共同でゴミ処理を行うことを検討し、進めてきました。
(経過は、2009.11.27全員協議会2009.12.9全員協議会2010.11.26全員協議会
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ですが、そもそもは『月形町の今後のゴミ処理をどうするか』が原点です。

私は平成20年(2008年)3月定例会で一般質問をしました。内容は、最終処分場の状況を踏まえ、当時検討が進められていた「全量焼却処分」に対し、高齢化や人口減に伴う影響、環境問題も含めた将来的コスト、現行政策との矛盾点などを上げて反対。町長の方針を聞くと共に、新たな展開についての提案をしました。

その後、平成20年12月発行の「ゆみこの活動報告書4(PDF・2ページ目)」、「ゆみこの活動報告書6(PDF・道外視察研修)」で、町や議会が新しい処理方法を調査していることをお伝えしました。

焼却以外のゴミ処理方法検討過程の中で、最有力となったのが白老町で取り組んでいた「高温高圧処理方式」。私自身も平成21年(2009年)11月に、廃棄物資源循環学会技術セミナーでの視察に参加し、直接現場を見てきました。

「高温高圧処理」の良さも理解しながらもその課題を感じていて、まずは最終処分場の延命を最大限図って時間を稼ぎ、その間に、月形町の実情にあった最善の処理方法を探すのが得策ではないかと考えていました。幸いにも月形町の最終処分場にはまだ余裕がありますし、町民のゴミへの意識が高く、分別減量化も功を奏しているという背景があるからです。

※ ゴミ処理方法は、近年の環境問題から様々な方法が編み出され、それぞれに一長一短のところはありますが、めざましい技術革新によって日々改良されていますし、新たな問題も浮かび上がってきています。時間があればあるほど検討できる要素は増えますし、コストも下がってきます。(もちろんどこかで結論は出さねばならないので、その時点での最善策を選択することに変わりはありません。)

という検討中の一昨年・・・(ここで最初の部分に戻ります)・・・美唄市と共同でゴミの処分を行うと、【月形町内では】一気に進められました(上記の全員協議会の報告参照)。細かな検討課題はさておき「広域で処理を進めなければ補助金が下りない」というのが町側の主な理由でした。
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もちろん町側の事情もよく分かります。理解します。
けれどこうなった以上、じっくり検討をしませんか? 

【誰と組む、どんな処理方法をする】ということではなく、
            【月形町のゴミをどうしていくか】ということをです。

今後ますます進む高齢化で、詳細なゴミの分別はできなくなるでしょう。
高齢化や人口減、意識の高まりで、ゴミそのものの量は減るでしょう。
環境規制が厳しくなり、ゴミ処理方法はより高度化することを求められるでしょう。
最終処分場周辺のみなさんとの約束事や環境保持・改善も必要でしょう。
ゴミ処理にかけるコストは高くならざるを得ません。どこまでなら町民は納得するのでしょう。

自分(月形町)から出たゴミは自分(月形町)で処理した方がいいのですか? それとも
         ゴミは厄介者だから誰か(他の自治体)にやってもらえたらいいですか?

他町村との議論の前に、月形町としてはどうしたいのか、どうすべきかの方針が十分検討されていないと感じています。【ゴミ】は町民誰もが等しくかかわる重要な問題です。また今住んでいる人だけでなく、将来の町民にも関係することでもあります。

この1年間、月形町は「待っている」だけで、事の本質は考えてこなかったように思います。せっかく時間ができた今、町民の話題に乗るくらいにはなって欲しいし、そうしていきたいと思っています。

2011年01月04日

2011年(平成23年)今年もよろしくお願いします

みなさん、2011年(平成23年)もよろしくお願いします。

写真は初日の出。樺戸神社への初詣の折りに写したものです。

この年末年始の月形は晴天に恵まれ、まるで太平洋側に移動したのではないかと思われる天気。長らく積雪もなく陽射しもあったので、表面の雪は融けて一面スケートリンクのように氷に覆われています。豪雪地帯の月形では珍しい光景です。

今年がどんな年になるのかは分かりませんが、願わくばこの元旦のように、見通しのきく明るい年になって欲しいものです。

どうぞ みなさんにとっても幸多き一年になりますよう。
日本の北、北海道の中央日本海側、月形町から祈っています。
   
                月形町議会議員 宮下裕美子
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いつもと違う天候という繋がりで・・・

年末年始の鳥取・島根県での豪雪には心が痛みました。
大晦日のニュースで雪の降る街中を映していましたが、その降り方は「モサモサ」「ドサドサ」と画面から音がするような、明らかに大雪になるのが分かる映像でした。

私たちも10年程前、一晩で80cm以上の積雪を経験しているので(その時はハウス1棟を潰してしまいました)、あの恐怖感と、もうどうすることもできない諦めの感覚を思い出しました。例え日々どんな暮らしをしようとも、自然の力には逆らえないことを再認識したしだいです。

自然に対しては常に備えながらも、ダメなら受け入れる柔軟さ、そしてそれをもプラスに変えるしたたかさを身につけたいです。きっとそれは物事に対峙する時の原理原則に通じることなのではないでしょうか。

今日現在、交通網は回復してはいますが、漁船の転覆や沈没など様々な被害の様子が報告されてきています。
被害に遭われたみなさん、これからが大変だと思いますが、どうぞ気持ちをしっかり持って頑張って欲しいです。立て直すことを願っています。

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