2010年12月31日

私の2010年は『節』

とうとう2010年も大晦日。あと僅かで年明けです。
全国的には大荒れ大雪の大晦日のようですが、月形は朝から晴天の穏やかな一日でした。

写真は今日の午後、須部都川の堤防から美唄方面を臨んだところです。
今年晩秋から初冬にかけて、河川管理の一貫として須部都川河川敷に生い茂った雑木(主にヤナギ)を倒伐・伐根する作業が行われました。そのお陰で対岸までスッキリ。昨年までとは別の景色です。

石狩川に向けて、須部都川が手前から奥へ流れていく様はなぜか心引かれます。私も様々な流れの中で生きているからでしょうか。
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さて、今年1年を振り返ってみます。

毎年のことながらアッという間の1年でした。

月形町は今年130年の記念の年でしたが、町政では「切手事件」の発覚から処分までこの1年間に起きたわけで、この事件に伴う様々な影響や停滞を考えるとアッという間でありながら多くのことが起きた1年と言えます。
私自身もこの事件に接し、考えること、学ぶこと、発することが大変多かったと感じています。この事件に関しては全てが終わったわけではありません。課題解決のために来年も真摯に向き合いたいと思います。

この他の議会活動に関しては、以前より積極的に調査と研究を進められたように思います。また『月形町議会 議会だより』の発刊に広報委員として関われたことも大きな意味がありました。
これらの活動が活発にできたのも、議員としての軸がハッキリしてきたからでしょうし、基本的なことが身についたからかもしれません。議員も3年を過ぎ、『石の上にも三年』ということなんでしょう。

学びといえば、今までとは違った学びの機会にチャレンジしました。北海道大学公共政策大学院サマースクールでの議論を中心とした学び、自治体学会でのパネラーとしての学び、アライグマ研究グループとの専門を広げた学び、町内外で様々な企画・運営することによる学び、大学の先生や研究者の方々との個人的な学び、道内外の議員や市民との情報交換・意見交換からの学び・・・振り返ると実に多くの方々と『学び』を共有できたことがわかります。様々な視点、様々な手法、様々な知識を得て、随分成長することができたと思います。

1つ残念なことも。
今年「ゆみこの議員活動報告書」を1つも発行できなかったことです。情報を発信することを議員活動の主軸に置き、ブログと活動報告書が大事な役割を果たしていたのに・・・。
夏くらいから「活動報告書を見ていないぞ」と声をかけていただき、最近は「議会だよりが発行されたから、ゆみこさんのアレはもう出ないの?」と問い合わせを頂くこともしばしば。町民の皆さんには大変申し訳なく思っています。
議会だよりが発刊されたことで一般質問の内容はそちらにまかせるとして、内容をリニューアルして年が明けたら発行しようと準備しています。今しばらくお待ち下さい。

個人的なことにも触れたいと思います。

今年10月の栃木女子高25期会は自分過去を振り返る良い機会でした。高校を卒業して25年間、同級生や恩師のそれぞれが重ねた25年間の話を聞くことで、その姿を見ることで、実に多くのことを感じ、勇気と喜びを得てきました。今までほとんど同窓会や同級会に縁のなかった私ですが、時には振り返ることも良いものだと思えました。

それからもう1つ懐かしいことがありました。
大学時代の友人が作家になり、その小説「稲の旋律」が映画化(「アンダンテ〜稲の旋律」)され、その上映会に彼女が来札したのです。実に20年ぶりの再会でした。
引きこもりの体験を書いた自伝的なその小説は私も共感する部分が多く、自分の中にある「引きこもり性」に気付くとともに、現在深刻になっている精神疾患系の社会問題もそう遠くない存在だと実感しました。

そして最後に・・・。実は今月、結婚20周年を迎えました。20年かけて育った家族の絆と支えを感じる毎日です。
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これらを総合して、私の2010年を一言で現すと『節』となりました。

竹の節(ふし)は一見何の成長も見せませんが、実はそこに成長点があって、節があることで一気に成長できるのです。また節があることで全体の強度も保たれます。

私の今年は、外向きにはそれほど目立つものではなかったかもしれませんが、たくさんの成長点を蓄え、節のようにしっかりと形成されたのではないかと思います。人生の強度も増したようです。また、過去に対しても節目を迎え、次に進む心構えができた年であり、節度の重要性も感じた年でした。


2010年、多方面のたくさんの皆さんにお世話になりました。
一つ一つの出会いが、私にとって励みであり、喜びであり、学びでありました。
みなさん、どうもありがとうございました。

2011年、飛躍の年になるようより一層努力します。
みなさんにとっても、幸多き年になりますよう。

2010年12月17日

今、注力していること → コンプライアンス条例

外は15日からの寒気で連日真冬日。昨日(16日)の朝はこの冬一番の寒さでー16.1℃でした。そして雪も一気に積もり冬本番といったところです。

そんな中、今週に入ってブログの更新できていません。すいません。師走に入り色々な行事が立て込んでいるのも1つの理由ですが、議員になって初めての大きな課題に向き合っているからです。

それは・・・コンプライアンス条例の修正案作り

今まで議会の中で条例の審議(可否)は行ってきましたが、具体的な修正案を検討するのは(私だけでなく、たぶん全議員が)初めてのことです。また、コンプライアンス条例はこの下に4つの規則を持つ非常に重厚で、多方面に影響のある条例なので、修正案を作ることは法制度に明るくない私にとって大きな課題であり挑戦になっています。

このコンプライアンス条例の修正案作りを行うに至った経緯は、以下の通りです。
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切手事件を受け、その後の展開として以前から話題に上っていた「月形町職員倫理条例(仮称)」。
その条例が形になり11月26日の全員協議会に提示されました。それが

『月形町職員の公正な職務の執行の確保に関する条例(案)』(略称)コンプライアンス条例

この条例(案)に対し議会から「唐突」「審議時間が足りない」「問題箇所がある」等の意見が多数出て、理事者(町長・副町長)側との協議の結果、一旦棚上げとなり12月定例会への条例提案が見送られました[11月26日の全員協議会]。
その後、議会内討議を進めるも結論は出せず、正・副議長と理事者が協議を行い今後のスケジュールを調整することに[12月8日の全員協議会]。

その結果、
1)各議員がコンプライアンス条例の具体的な修正案を作り、
          1月14日開催予定の全員協議会で「最終の議会案」としてとりまとめる。
2)1月中に全員協議会を開催し、理事者と修正案について調整
3)総務課で条例の修正事務を行い、3月定例会に提案
というスケジュールになりました。
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これを受け、現在私も個人的な修正案を作るべく、様々なツテを頼りに勉強・検討を重ねています。特に私がこだわっているのは、この条例を制定することで
●再度同様の事件が起きた時に最善の対処ができるのか(切手事件の教訓を生かせるか)
●職員が迷いなく業務に向かうことができるのか(消極的にならずに業務に集中できるか)
という点です。

私は未だこの事件の検証が不十分(特に調査と公表の部分)と考えているので、(問題箇所が不明朗なまま対策を主眼に置いた)この条例の有効性に疑問を持っています。また「公益通報」への対応を主目的に据えた「法令遵守委員会」で、果たして切手事件の検証ができるのか、検証結果等情報の公開はなされるのか・・・ここも多いな疑問点です。

しかしながら、議会全体の流れはこの条例の制定に前向きです。この条例の中で(切手事件の検証も)対処する方向で流れています。とすれば(議会は合議体である以上)、この条例の修正案で最善を尽くすことが重要に・・・

想いを形にするよう、努力したいと思います。

2010年12月06日

広報特別委員会(2010.12.6)

いよいよ「議会だよりNo.2」の発行日を迎えました。

今日は朝9時から、役場大会議室が町報「花の町つきがた12月号」の折り込み作業場になりました。

月形町では毎月5日(休日等の時は後ろにずれる)に町報「花の里つきがた」を、20日(休日等は同様)には「おしらせ号」を発行しています。発行数は約1,700部(町内戸数分)。ここには、役場組織や町内各団体の文書やチラシを折り込んで無料全戸配布することができます。
ただし、誰でもが折り込めるわけではありません。発行1週間前までに原稿の審査(公共性があるか、内容が不適切でないか・・等)があり、広報担当からOKをもらう必要(場合によっては省略)があります。また、発行日当日は折り込み作業要員として、1団体から2名参加しなければなりません。

今回の折り込みは年末という事もあってか数が多く、月形地区で9種類、札比内地区は10種類のチラシや文書が折り込まれました(参加者の顔ぶれは、役場各部署、商工会、消防、札比内駐在所、福祉施設、環境団体、そして議会)。

議会からは笹木議員と私が参加。笹木議員にとっては初めての折り込み作業だったので「こんなふうにやっていたのか。職員も結構でているんだなあ。それにしても思いのほか大変な作業だ。」と、感想を漏らしていました。

私自身は、地球温暖化防止活動団体「地球を愛する会@月形」や「まちづくりNPOふきのとう」の広報誌折り込みなどで何度も経験していたので要領は分かっていましたが、やはり手作業というのはなかなか大変だあと毎回思います。とは言え、機械化できる様な規模でも回数でもないですし、普段顔を合わせない人と会えるのも楽しみの1つですし、何よりこの作業をすることで「議会だより」を確実に全戸配布でき、町民の皆さんのお手元に届けられると思えば、この1〜2時間の作業も良しでしょう。(※)。

来年4月になれば各戸にIP告知端末の供用が開始されますので、多くのチラシや文書がそれで対応できることでしょう。この折り込み作業風景も変わっていくのでしょうね。

皆さん、ぜひ「議会だよりNo.2」の感想やご意見をお寄せ下さい。
今後の議会や、より分かりやすい広報制作にも生かしていきますので、よろしくお願いします。
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(※) 各団体が単独で各戸に配布するとなると多大な経費がかかるので、こうして「手間替え」で確実に全戸配布できることは、小さな団体に取ってはとても有り難いことです。その一方、役場職員の折り込み作業従事はどうなのか・・・一歩下がって考えることも必要に思います。

確かに役場職員が、手間のかかるちょっと大変な手作業を黙々とこなしている姿は美しいでし、頑張っていると共感もできます。ただ役場職員の給与を時給換算すれば、町内では高給ランクでしょう。この作業に割いた約2時間を本来の業務に当てていれば、費用対効果の高い労働をしてくれるかもしれませんし、しないかもしれません。この辺りは職員の姿勢と能力によって違ってくるので一概には言えませんが、それでも行政改革を行う上では頭に入れておかなければならない要素です。

私の考える(理想の)役場職員像は、日常の基本的な業務は一日の半分でこなし、あとの半分はアンテナを広げる事(現在の業務に関連する情報だけでなく、今後に繋がるアイデアを集めること。それを形にするための町内外を問わない人脈を作ること。コミュニケーション能力を磨くこと。)に積極的に取り組んでいる人です。かなり創造性を有する職業だと考えています。

しかし、現実はどうでしょう?

雑務に追われていては創造的で未来志向の仕事まで、なかなか向かえないでしょう。その一方、自らに創造的思考がなければ時間を有効に使えず「暇そうにしている」との批判を受けかねませんし、かえって非効率な職場になることでしょう。

「ニワトリと卵」の議論に発展していく問題ではありますが、現状を理想に繋げるためには、まず職員の雑務負担を減らすことが重要かと思います。雑務を一手に引き受ける部署(仮称:事務課)があれば・・・それ以外の部署は本来業務に対する「創造性」が常に命題になるのではないでしょうか。そして事務課は、いかに効率的に仕事を進めるかを命題に、創造的な仕事ができるのではないかでしょうか。

これらを実現しようとすれば、大胆な配置と発想の転換が必要です。創造性のない職員は「職員」の枠から外れてもらうこともあるかもしれません。事務課マネジャーのもとでは、事務作業や接客のプロに近い技術が要求される人も出てくるでしょう。臨時職員等の増員も含め全て事務課管理にすることで、業務量や内容に配慮した人材管理もできるのでは。これらは現行の人員配置+αで対応できるのでそれほどの財政負担はないでしょうし、効率化や創造性が確立されれば総合経費は下がることでしょう。

「議会だよりNo.2」の制作・発行作業を終えて、こんな事が浮かんできました。

2010年10月27日

栃女高25期会・天馬の会

先週末、実に5年ぶりに帰省してきました。というのも、高校の同窓会があったからです。この同窓会、ちょっと特別なものなので個人的なことですが紹介します。

私が卒業したのは栃木県立栃木女子高校(通称、栃女)で、来年には創立110年周年を迎える伝統校です。私たちの時代は1学年9クラス、約400人の同級生がいました(現在は6クラス)。

栃女では卒業後25年経って初めて、学年全員を対象にした公式の同窓会が開かれます。それがこの25期会。丙午年の私たちは「天馬の会」と名付けられました。

「女性は高校卒業後様々な変化を迎えるけれど、25年も経てば社会人としても家庭人としてもある程度落ち着くことができて、同窓会にも参加できるのではないか」という配慮の元、卒業25年目に同窓会が開かれるようになりました。

この日の参加者は約200人。北で最も遠かったのが私、西では島根から、多くは県内や関東地方からの参加でした。

教員をしている人が随分いて、また大学卒業後に就職した企業で「勤続20年」を迎えている人もちらほら。他に看護師や地方公務員、経営者、介護士、エンジニア・・・。正社員だけでなくパートをしている人も多かったのですが、それまでの教育や経験を生かした仕事に就いて、生き生きしているのが印象的でした。

それから赤ちゃんを連れてきている人も(もちろん本人のお子さん)。高校時代にも増して上品で素敵な人や、バリバリ・テキパキと仕事をこなしている姿が目に浮かぶ人、おっとりとしながらも地に足がついた生活がにじみ出ている人・・・。

25年といえば四半世紀! 

色々な人生があって当然ですが、こうして顔形の変化以上に個性が強調された姿を目の当たりにし、それぞれから話を聞くことができて、時間の積み重ねを感じました。そして「元気」と「勇気」と「誇り」と「愛情」があふれているのを感じました。

祝賀会の席で、同窓生の先輩でもある恩師から

「皆さんは40代半ばになり、社会人としても家庭人としても充実した時を迎えていると思います。今が一番と思うかもしれないけれど、女の人生は50代からですよ。50代になればまた違った目が見えてきます。そして60代になればもっと違って・・・。そう、女の人生に終わりはないのです。ずっと楽しいことが続いていくのですよ。」

勇気づけられる言葉とともに、定年退職を迎えても凛とした素敵な恩師の姿に、前向きに進みなさいと背中を押された想いでした。

栃木女子高、ここで学べたことを誇りに思います。
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この日、たくさんの友達に会って話しができたことは、これからの人生の大切な宝物になりました。
ただこの日、様々な事情でここに集まれなかった(集まらなかった)人がいるのも事実。人生の波と「この日」が重ならなければ人には会えないという事実も突きつけられた感じです。それだけに、25期会が人の想いで作り上げられたことに感動しました。

素晴らしい時間を過ごすことができた25期会。
企画から運営までに携わった19名の実行委員の皆さんには本当にお世話になりました。
どうもありがとうございました。

次の機会(30期会?)にも参加できるよう、日々精進。
そして開催の日と私が参加できる状況が重なる「ラッキー」が巡ってきますように。

2010年10月13日

お見事!!! 救出劇。祝・脱出【チリ鉱山落盤事故】

今日は世界中、地球が1つになって喜びを分かち合ったのではないでしょうか。


落盤事故(詳細はこちら)が起きてから70日間、地下でも地上でも、当地でも世界中のあちらこちらでも、どれほどの人がこの日を待ちわびていたことでしょう。「希望」が現実のものになって、本当に嬉しいです。

この脱出の第一報が入った時(私はちょうどお昼のお弁当を食べ始めた時でした)、思わず涙が湧きだし、胸がキューっと熱くなっていました。ヤッターーー、ヨカッタ、と。
きっと同じ気持ちが電波とともに、地球上を伝わったのでしょうね。

全員救出までには今しばらく時間がかかるのですが、どうぞ無事に全員が地上に出られますように。
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それにしても、地下の人々の精神力はスゴイ、脱帽です。特に、落盤発生から地上との交信が出来るまでの17日間、どんな想いが、どんな行動が、彼らを支えていたのでしょう。
優秀なリーダーの存在が取りざたされていますが、そのリーダーの生の言葉をぜひ聞きたいです。

それからチリの国民の方々。皆がチリ国家を口ずさみながら全ての持てる力で声援をする姿や、仕事も辞めて現場に駆けつけテントで暮らし続けた家族に勇気づけられました。もし日本でこのような事故が起きた時、果たして同じように国民や家族が1つになって声援を送り、励まし合い、希望を持ち続けていられるのでしょうか? 
そうあって欲しいとは思いますが・・・やはりチリ国民、チリ政府には脱帽です。

そして世界中からの支援。現在までに私の得た情報では、NASAが宇宙技術を応用して支援したり、日本からも消臭下着等の支援が行われたとか。その他にもたくさんの様々な技術や情報、人的、物質的な支援が世界各国から行われているそうで、救出という「希望(目的)」のために現代の英知を結集できたところが素晴らしく、感動しました。

この先、この救出劇の真相が様々な視点から語られることになるでしょう。
その一つ一つに興味がありますし、ぜひ知りたい! 
そして喜びを、感動を、再度分かち合いたいです。

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