2012年02月22日

深刻な雪害・農業被害(ハウス骨組みパイプの損傷)

豪雪は一向に収まる気配がなく、対応すべき課題も変化・増大してきています。

今までは【高齢者宅の除排雪】【交通網の確保=町道の除排雪】が対策の中心でしたが、これらに加え、いよいよ【倒壊・危険家屋対策】【農業被害対策】が大きな課題になってきました。

特に【農業被害】は深刻です。現状では「融雪の遅れ」に目が奪われますが、現在雪の下になっている【ハウス骨組みパイプの損傷】が最も大きな被害になるでしょう。これは月形町の基幹産業である農業の存続/衰退、ひいては町内経済にも影響する大きな問題に発展します。

というのも、月形町の農業生産の柱は、コメ:花き:果菜(カボチャやトマト、メロン他)で、施設園芸(ビニールハウスによる生産)の占める割合が高い地域です。施設園芸は労働集約型農業なので雇用の場としても大きな位置を占めてきました。また、土地利用型農業のコメの作付けにおいても、苗作りにビニールハウスが欠かせません。

もともと雪の多い月形ではそのハウスを守るため、冬場はビニールを剥がし骨組み(パイプ)だけにして雪の下にします。ただし、加重に弱いアーチ部分は雪から出るように管理して春を迎えてきました。
しかし今年の雪は・・・積雪2.5mでは、ハウスがすっぽり埋まる量です。雪をはねて骨組みを出すと言っても、もうはねる場所もなければ、降り続く雪と吹雪く天候に追いつきません。雪の中で、雪の荷重に耐えかねて曲がったり折れたりしているハウスの悲鳴が聞こえてきます。

上から2枚の写真は、いずれも2012年2月6日に撮影したものです(月形町農事会)。

【上の写真】若干見えるのは掘り出したハウスの骨ですが、直近の降雪でまた埋まっています。この後すぐに大雪があり完全に埋まりました。
(撮影した2月6日以降、今日までに約2mの降雪がありました。積雪は多少増えている程度なので、降った雪が堅くしまっていると言えます。)

【中の写真】この地域の多くのハウスが、この時点で完全に雪に埋まっています。畝のように見えるのがハウスの上部。地上から2m以上の高さがあるはずなのですが・・・ この時、足元には約2.3〜2.5mの雪が積もっています。

【下の写真】参考までに、中の写真とほぼ同じ場所を写した2005年3月23日の写真です。これだけのハウスが雪の中に埋まっています。

このような状況が町内の多くの場所で見受けられます。今は雪の下なのでハッキリしたことは言えませんが、全町内のハウスの半分かそれ以上(500棟とも1000棟とも)に被害が出ているのではないかと・・・

この【骨組みだけのハウス】に共済制度はありません。また、ハウスは高価で再度建て直すには相当の出資になりますし、壊れたハウスを片付け、新しく建てる労力も相当なもの。その上、作付けのことを考えれば建て替えの出来る時期は限られています。

高齢化・零細化している現状から、今回の被害をきっかけに営農意欲を失い離農する農家が増える可能性が高まっています。結果、今まで何十年もかけて産地形成してきたものが失われる・・・、人口流失する・・・、地域が衰退する・・・。

『基幹産業を守る』『産地を守る』ことは、地方の小さな自治体にとって最重要課題です。
これまでの記録を破る降雪のあった今年、この対策に本腰を入れるべき時です。

2012年01月07日

2012年(平成24年) 今年もよろしくお願いします

寒の入りも済み、松の内も明け、七草粥を食した1月7日。今年初めてのブログになります。

写真はいずれも平成24年元旦に撮ったもの。

右は、まもなく初日の出を迎える月形町役場と樺戸博物館。夜明けの中で刻一刻と表情を変える空色と、暗がりから一瞬で浮かび上がった建物がとてもきれいで、新年の幕開けにふさわしい希望に満ちた瞬間です。

そして下の写真は、須部都川にかかる柳橋から撮った初日の出。川面から川霧が立ち上り始め、幻想的な雰囲気の中で初日の出を迎えました。おぼろげな光は現在を表現しているかのようですが、この後明るい日差しをたたえ、穏やかな三が日を迎えています。

みなさん、2012年(平成24年)もどうぞよろしくお願いいたします。

さて今年のお正月、私は今まで以上に「心の充電」に努めました。昨年の震災で知らず知らずのうちに開いてしまった心の穴を埋めるにはやはり心の栄養が必要ですね。意識的に家族との時間を大事にしたり、伝統的なお正月行事に関心を持ったり実践したり、趣味の手芸に没頭したり・・・。

心が満たされると自然に「やる気」も「元気」も湧いてくるものです。ここ数日は議員としての意識が強くなり、「月形町の今年の課題と展開」「議員活動報告書の草稿」「月形町の将来展望」などが常に頭に浮かんで・・・
さあ、仕事が待っています。

今年も気合を入れて、前向きに行きましょう。
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お正月休みに読んだコラムの中で印象に残ったものがあったので、紹介と感想を記します。

■戦後社会が終わり「災後社会」がやってきた (猪瀬直樹の「眼からウロコ」2012年1月4日 nikkei BP net

コラムの主旨は … 日本人は今まで「戦後○○年」という捉え方して「戦後社会」を生きてきたが、これからは「災後社会」を生きていかなければならない。 … というもの。

確かに東日本大震災の影響は大きく、社会の捉え方の基軸を変えなければならないと私も感じてはいたものの、「戦後」と「災後」を同一に捉えるまでには至っていませんでした。ただこうして指摘されると、確かに!! はっきりとした言葉に置き換えられたことで、課題と展開が明確になりました。

東日本大震災後、被災地だけでなく日本全体・日本各地として多くの課題が浮かび上がってきたと感じます。「絆」を意識した精神面だけでなく、一層支援が必要とされる地方の問題、高齢化や過疎化。生命の安全に大きく関わる原子力や食の問題、産業や日常にとっての電力の問題など。震災後に発生した新たな問題に加え、震災前から顕在化していた問題が喫緊の課題になったと言えます。また今後、復興に関わる増税や社会構造の変化が避けられないでしょう。加えて今まで先送りにしてきた社会保障や格差対策、国債残高の増大、外交や為替、経済・・・

問題点を上げればキリがありませんし、なにか暗黒時代のような印象を受けてしまいます。が、これを「災後」と捉えれば・・・戦後の復興期のように、とにかく前に向かって進むしかないと覚悟ができます。未来が今より良くなるように、子供たちに負のつけを回さないように、と今の私たちに何が出来るのか、最善を尽くさねければ!

東日本大震災の前と後とでは様々な状況が大きく変わっているのに、その渦中にいる私たち(特に未来に向かう仕事をする政治や行政関係者)は案外理解できていないのかもしれません。

とすると、月形町議会議員の私にいま求められている仕事とは、3月定例会の平成24年度予算審議でこの「災後」を充分意識した審議と判断をすることですね。前向きに、前向きに行きましょう。
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どこに書いてあったか忘れてしまいましたが、
「脳を活性化させるには身体を動かすしかありません。身体がスイッチになっているからです。だからまず動きましょう。朝「眠い」とそのまま寝ていてはいつまでたっても起きれないけれど、起きてしまえば目は覚めてくるのです。」
とありました。なるほど〜。

2011年12月31日

私の2011年は『命』を意識した年

もう少しで2011年も終わります。

今日は朝から澄み渡り、凛とした青空が広がっています。東の方角には遠く大雪山系の山並みもくっきりと見渡せました。1年の終わりを振り返るにはちょうどいい雰囲気に包まれています。

毎年の恒例として、この1年を振り返ってみます。

2011年、やはり3月11日を区切りに世の中も私自身も変化したといわざるを得ません。想像だにしなかった地震や津波そして原子力発電所の事故。一瞬ですべてが変化するのを目の当たりにしました。そこには多くの人の暮らしや自然があり、多くの『命』が息づいていたのに・・・
私にはこの震災による直接的な被害はありませんでしたが、それでも心に大きな重石を持ってしまい、しばらくはその重石に敷かれたような感覚でした。目には見えなくとも『命』はつながり、互いに影響しているのを実感した出来事でした。

それから夏のある日、町内某所で食べ物を喉に詰まらせた人を助ける経験をしました。
特別な訓練は受けていないものの知識だけは持っていた私が、現場で立ち往生している友人の「宮下さん、助けて!!」の声でスイッチが入り、いつの間にか体が動いてハイムリック法を実践していたのです。けいれんを起こしどす黒くなっていた人の顔が、ほんのちょっとの隙間から入った空気で瞬間に赤みが差し、あっという間に戻ってきたのを目の当たりにして、人の命の危うさと強さに驚きました。

そしてもう一つ。家族が骨髄バンクのドナー候補の連絡を受けました。精密検査後ドナー候補ではなくなりましたが、『命』を考える大事な機会になりました。


『命』を意識する様々な体験を通し、私の周りには多くの命と、それらが織りなす日常があることを再認識しました。けれどその『命(日常)』は思いの外あっけなく崩れることも、とはいえ復活する力強さを持っていることも、そしてそれらは何らかの力で広く大きく繋がっていることも体感しました。


私は一つの『命』を持っています。それをどう活かすのか、目に見えないもので繋がっている周りの『命』とどう連動していくのか、そしてこれから生まれ育つ『命』に何をつなげていくのか・・・
今まで以上に大きな視野、高みからの視点が求められ、それを感じられるようになったのかもしれません。


政治に関わる者(首長・議員)の仕事とは、今ある現状を踏まえて未来を創造することだと考えます。いつでも未来の展望(ビジョン)を語ること、答えることが求められていると思います。それが出来なくなった時は別の誰かにそのポジションを受け渡し、役割をつなげていくことが必要でしょう。

私たちの暮らしはどうなるのか? どうしていくのか。
月形町の将来像は? どんな町にしていくのか。
日本の未来は? どう働きかけていくのか。         こんなことを考えた1年でした。


最後になりましたが、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、あわせて被災された皆さんが一日も早く日常を取り戻されますよう願っています。



東日本大震災に限らず災害の多い2011年でしたが、どうかこの大晦日で区切りとなりますように。
そして、2012年が平和で穏やかな日常であり、未来に希望が芽生える1年になりますように。

2011年11月20日

「市民参加手法の公開研究会」に参加した大学生の皆さんへ

〈公開研究内の内容と、私の感想は → こちら

公開研究会に参加した北海学園大の皆さんにとって、この3時間はどんな時間だったのでしょう?
多少なりとも「行政」「議会」「自治体」「政策」に興味を持っていただけたなら、問題提起者の一人として参加した私も意義を感じられますし、嬉しいです。

私は現在2期目の月形町議会議員ですが、そもそもは政治に全く興味がありませんでした。
プロフィールを見ていただければ分かる通り、大学は農学部農芸化学科。教養の必修課目で政治・経済があったので単位は取ったものの、内容を理解していたか・・・は疑問です。
会社員時代、施行直後の「男女雇用均等法」には関心があったものの、総合職の可能性と現実とのギャップに、法律や行政は遠い存在のままでした。

しかし、結婚や出産によって行政との関わりがでてきました(届け出や行政サービスを受けるため)。加えて、北海道に移住し新規就農したことで、法律や行政との接点が多くなり身近に感じられるようになっていきました。

そう、この時になって初めて
・私たちの生活が「法律や条令」によって規定され、行政によって運用されていること
・地方自治体が私たちに最も身近な場所で、その実務をこなしていること
を理解したのです。全てが「暮らし」に繋がっていました。

それから視点を変えて身の回りを見てみると、実に多くの課題が目の前にぶら下がっていて、その先は行政(自治体)に繋がっていました。それまで「何も知らされていない(情報がない)」と思っていたのに、実は私が見ていなかっただけだったことに気付いたのです。

それと同時「私たちの行動によって行政を動かし、改善することができる。」という体験をしました。それが認可保育所の設置であり、学童保育所の開設です。今まで行政会議の対象にもならなかった若いお母さん(私たち)が、関係各所に電話をかけ足を運んで調査し、町長との懇談会を企画したり、要望書を集めたり。今になっても「何も分からないのに、よくやったなあ〜」と自分達でも感心するほどです。

そんな成功体験をすると興味はますます湧き・・・市町村合併問題があり・・・そして私は議員になっなりました。

私の経験談をするまでもなく、地方自治体は市民とともにあり、市民によって変化していきます。そして議会こそが市民の意見を戦わせる場であり、「まち」の縮図なのです。

「行政や議会が何をやっているのか分からない。」「行政や議会は不要だ。」と言って何も行動しなければ何も変わりません。無関心な市民が、行政をより遠い存在にしているとも言えます。
市民の変化が、行動が、まちを動かしていく。
私はそう考えています。

大学生の皆さん、議会を傍聴に行って見てください。「敷居が高い」と思って足が向かないとは思いますが、ぜひ一度、清水の舞台から飛び込むつもりで(ちょっと大げさ)。審議や議論の内容を聞いてみたら、きっと「えっ!!」と思うはず。案外身近な話題や簡単なことを議論しているんです。


今回私は議員として参加しました。首長のように決定権がないので「こうやります。」「こうします。」とは言えません。でも議員は(議会という)合議体の一員として、主義主張を持って物事にあたることができます。社会情勢や関係性に左右されることなく、独自の路線を進むことも可能です。そしてそれを後押ししてくれるのは、皆さん「市民」です。

大学生の皆さんの行動力に期待しています。

2011年11月19日

「市民参加手法の公開研究会」を終えて

本日午後、北海学園大学(札幌市)で「市民参加手法の公開研究会」が開催され、問題提起者の一人として参加してきました。

・・・と言ってもイメージしづらいと思うので、言い換えると・・・

『自治体における課題を市民参加によっていかに解決できるか』を目的にした、シンポジウム形式の公開討論会に、パネリストとして参加してきました。

討論された内容は、
(1)自治体財政における「交付金」を題材にして、
  ◆政権交代や地方分権がどの様に進んでいるのか
  ◆「交付金」を「生きたお金(効率的な運用)」にするための改善策
  ◆具体例・緊急雇用創出事業における制約(新規事業、短い設計期間)
      ・社会資本整備総合交付金(除雪)における膨大な事務量
      ・奈井江町における道道・町道の一元管理(町による道道管理委託)

(2)市民が行政に参加するとはどういうことか。
  ◆行政法による縛りと、それを打破した先にある「住民参加のまちづくり」
  ◆具体例・ニセコ町「あそぶっく」
      ・奈井江町「子ども権利条例」
  ◆住民参加の受け皿としての議会

普段なら事細かに報告するのですが、今回は議論の当事者として参加しているので、客観的に表現できません。感想のみ末尾に記載します。(正直に言うと、夢中で議論しているので冷静に全ての議論を追えてません。いつものことですが、あとになってハッとします。会場の写真がないのも残念。)

幸いにも今回の内容は「財界さっぽろ」に掲載されるとのことなので、そちらを参照してください。
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実に楽しい3時間でした。

課題解決に向けた議論や新たな発想を得ることが、いかに知的好奇心を満足させ新たな夢を描かせる原動力になるのか、こういう場に参加する度に感じることですが、今日は格別でした。
独自の考え方で地方自治を実践している各首長(奈井江町長:北良治氏、ニセコ町長:片山健也氏、室蘭市長:青山剛氏)と、研究者の視点で解説がてら議論に参加していた内田和浩先生(北海学園大学経済学部教授)との取り合わせが良かったからだと思います。
本当に有意義な時間でした。

そうは言っても、森先生から(公開研究会参加の)お話しをいただいた時、疑問と不安がよぎったのが正直なところです。ただ「おもしろそう」とOKの返事をしてから参加者リストを確認すると、地方自治分野では革新的で有名な首長さんがずらり。政策決定権のない議員の私が論じるべきことがあるのか、どういう観点で参加すればいいのか、皆目見当がつきませんでした。

「議員としての活動と同様、施策の問題点を指摘したり質問や提案で課題が何なのか参加者にわかりやすくしてください。」との森先生の助言で、今回の議論が普段の議員活動の延長線上であることを理解し、ホッと一息。
いつもの議員活動通りに調査を進めると、通常の審議の過程では見えてなかった、施策や制度の細かな点や事務の実態を把握でき多いに勉強になりました。また、担当職員と課題を話し合うことができて新たな発想がでてきました。顔を合わせ話し合うことは大事ですね。

公開研究会には北海学園大の学生さんが多数参加し、質問も寄せてくれました。教育の一場面に参加できたことも嬉しい成果です。【参加した学生さんに対してメッセージがあります。→ こちらへ

この公開討論会の企画運営の皆さん、月形町役場職員、そして登壇者と会場参加者の皆さん、
どうもありがとうございました。

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