2012年03月26日

『市民と岩見沢市議による(ゴミ処理に関する)意見交換会』

3月24日(土)の午後、岩見沢市友の家で「市民と岩見沢市議による(ゴミ処理に関する)意見交換会』が開催されました。

主催は「岩見沢のゴミ処理を見守る会」。昨年9月に発足したばかりの市民団体ですが、その前身は「岩見沢のゴミ処理を考えるシンポジウム」を開催した「新たなゴミ処理方法を考える市民の連絡会」(岩見沢市のゴミ問題の解決策を探るために集った市内7つの市民団体)です。生ゴミ堆肥化の勉強会開催や会報の発行、議会傍聴や要望書のとりまとめなど、活発な活動を続けています。


さて今回の意見交換会、主役は岩見沢市民と市議のみなさんですが、これから始まる広域ゴミ処理の一員として、月形町議会議員の私も声をかけていただきました。市議のみなさんと同じ席上で現状や今後についてお話しする立場です。

参加された岩見沢市議は、市議会5会派のうち【新政クラブ:伊澤市議、★堀市議、峯市議、宮下市議】【平成クラブ:牧田市議、★氏家市議、田中市議】【公明党:酒井市議、★斎須市議】【日本共産党議員団:★山田市議】の10名(そのうち★印が、ゴミを担当する民生常任委員)。

またアドバイザーとして北大大学院教授・松藤敏彦氏(廃棄物資源循環学会副会長)。
そして市民のみなさん約60人(うち男性2割)。主会場からあふれ、開放された隣の部屋から話を聞こうと身を乗り出す市民の姿に、関心の高さと熱心さを感じました。


意見交換会に先立ち主催者から、自分たちが1週間でどれほどのゴミを出しているのかの実例紹介がありました。ある会員家庭(50代・官舎で二人暮らし)の直近1週間分のゴミを、市の分別に従い袋に入れ重さも表示し、ゴミの分別や減量を進める上での課題や改善策などの提案がありました。

視覚的に訴えるゴミの現状はとても解りやすく、分別を実践している人だからこその意見や提案もあり、とても良い企画だと思いました。この市民団体が草の根的に、地道にそして純粋にゴミ問題を解決しようと活動していることが良く理解できる場面でした。


いよいよ本題の意見交換会ですが・・・

まずは市議から現状についての説明と疑問点があげられ、それに対して松藤先生が専門的立場からの解説や問題を提起し、市民からも意見が出されて市議が答える。私は広域ゴミ処理の中で示された情報を元に市議に質問し、市議が答える・・・のような感じで次々と話題は展開し、あっという間に予定された2時間が終了しました。

結果として、広域ゴミ処理の現状は(少なからず)市民に伝わった感はありますが、ゴミ行政や議会に対する疑問や不信感は残ったまま、もしかしたら一層深まったかも知れないと感じました。


最後に松藤先生から
「ゴミ処理に関してはイメージや思い込みで語られることが多く、間違った認識が広がっている。データに基づいて考えることが重要。ただし出されたデータは必ずしも実態を正確に表しているものではない。データは判断の根拠になるものであり、データの透明性を高めることで事業の中身が見えてくる。」
とのお話しがあり、意見交換会は閉じられました。
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意見交換会に参加した私の感想ですが・・・
岩見沢市議と私の「ゴミ処理」に対する現状認識(特に、岩見沢市におけるゴミ処理問題の認識と、広域処理における進捗状況の認識)の違いに唖然としました。

特に乖離(かいり)していたのは
■手続きによっては平成27年4月供用開始を遅らせることも可能(一部市議の発言)との認識
 ←→ 供用開始時期は、岩見沢市の現行最終処分場の容量が満杯になることから決定されたもの。
    現行最終処分場は平成27年まで保たすこともままならない状況と聞いているのに大丈夫か?

■新設される焼却炉は決定していない。まだまだ変更可能との認識
 ←→ 平成27年4月の供用開始には、今年の夏〜秋までに実施計画を策定し工事発注しなければ
    間に合わない。工事発注のための仕様書作成には3ヶ月でも短すぎると言われている。
    月形町も含め補助金申請の準備や予算組みがなされている状況。
    これら全てを鑑み、焼却炉の変更を論じる段階は過ぎているのでは?
    【参考資料:平成23年10月21日に交わされた基本合意に関するブログ

■新設される焼却炉は100t規模だが、市民の努力によって、もっと小規模にもできるとの認識
 ←→ 焼却炉の規模を100tと設定したのは平成27年度のゴミ量推計値から。
    岩見沢市の場合、様々な対策をとって減量化できて初めて達成できる数字ではないのか?
    【1人1日あたりのゴミ排出量(平成22年度)668g → (平成27年度目標)560g
                        岩見沢市議会議員 田中和宏氏のブログより
    「市民の努力で小規模にできる」ではなく「努力しなければ100t規模も難しい」のでは?

■岩見沢市が月形町などのゴミを受け入れて処理するのだから、営業として割高な処理料金を設定
 しても良いのではないか。(一部市議の発言)との認識
 ←→ 広域ゴミ処理の出発点は、国の補助金を受けるためではなかったか?
    (現行制度では、単独自治体で処理施設を建設しても補助金は出ない。)
    広域ゴミ処理組織が「一部事務組合」でなく「業務委託」になったのは、岩見沢市の事情
    (最終処分場問題から平成27年4月供用開始せざるを得ない状況。時間がない)から。
    各自治体(特に議会)との議論の場が持てなくなった以上、充分な配慮が必要では?

■岩見沢市がゴミ減量化を推進すると美唄市・月形町の負担割合が増え、新たな負担を必要とする。
 その理解が得られるかが心配(一部市議の発言)との認識
 ←→ 当初計画(平成27年度のゴミ量推計)による負担割合は、岩見沢市:89%、
    美唄市:8%、月形町:3%。全体の9割を占める岩見沢市のゴミ量が減れば処理経費全体が
    軽減される。結果、負担割合が変わったとしても月形町の実質負担額は減るのではないか?
    経費負担軽減のカギは岩見沢市の減量化(ゴミ処理行政)にかかっているのではないか?
    【参考資料:費用負担割合についてのブログ(平成24年1月18日 全員協議会)

発言の揚げ足をとるつもりはありませんが、あまりにも認識が甘いと言わざるを得ません。民生常任委員であっても現状を理解していないようですし、それ以外の議員の中には「あまり詳しくない」「専門外なので」と発言している議員もいました。議決をするときには一人一人の議員が議決権を持ち、判断するのにです。大きな議会の会派制の歪みを感じました。

確かに月形町は極少ない処理量(3%)で全体から見れば「鼻クソ」のような存在かも知れません。しかし、岩見沢市と月形町そして美唄市は、同じ事業を進めるパートナーです。同じように、市民も市議会も行政も、ゴミ処理を進めるパートナーです。同じ方向に進むためには協力が必要で、そのためには相互理解と信頼が必要なのではないでしょうか。

今回の主催者である「岩見沢市のゴミ処理を見守る会」は、自ら実践し考え、問題提起し、課題解決のための行動もできる素晴らしい団体だと思います。
ゴミ処理は市民全てが将来にわたって関係する問題であり、市民の実践なくして改善されない問題。つまり、市民の中に核になる団体が必要です。「岩見沢市のゴミ処理を見守る会」のような市民団体と協働することが、ゴミ行政の最初の一歩のような気がします。

2012年03月09日

月形町・ハウス復旧で半額助成【2012.3.6 北海道新聞朝刊】の反響と個人的見解

『月形町 ハウス復旧で半額助成』という見出しの新聞記事(2012年3月6日 北海道新聞朝刊)への反響が大きく、私のところにも各方面から多数の問い合わせが来ていますし、直接多くの方と議論や意見交換も行っています。

議会での取り扱いは前のブログで紹介したとおり非公式な場で協議した段階です。金額的にも内容的にも今までにないものだけに慎重な議論が必要ですし、公平性や透明性の確保をどうするか意見の分かれるところでもあります。
現段階は、議案として提出されたわけでなく採決も行っていないので、議会の方向性(議会の判断)が確定したわけではありません。議会としての正式なコメントはできない状況です。

とは言え、地域や社会の関心が高い事業であり、新聞で公表されている内容もあるので、この件に関する私見をここに記したいと思います。

ハウス復旧で半額助成 月形町 雪害で独自支援策 [北海道新聞 2012年3月6日朝刊]

【月形】空知管内月形町は5日、記録的な大雪に伴い農業用ビニールハウス損壊の被害が相次いでいることを受け、復旧にかかる資材購入費の半額を農家に助成する独自の支援策を発表した。
 町と月形町農協は、町内の農業用ハウス約1500棟のうち被害は約600棟に上ると推計。同町はこのうち300棟が全壊、残りが半壊と見て試算し、支援事業費は9720万円を見込む。5日から調査を始め、被害が確定次第、補正予算に計上する。
 記者会見で桜庭誠二町長は「町内の農業生産額の半分は施設園芸の花きや果菜類が占めており、営農計画を立て直す農家のため、早急に支援を決めた」と述べた。

月形町の基幹産業は農業であり、総生産額22億円のうち11億円を施設園芸(花き・果菜)が占めていて、町長の発言にも「生産額の半分を占める」ことが強調されています。しかしそれ以上に重要なのは、施設園芸が【労働集約型農業=たくさんの雇用を生み、資材投入額も大きい】である点です。

以下が、私の認識する『施設園芸の特徴と月形町における位置づけ』です。
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【雇用の場=人口維持】
雇用の場が少ない地方において、労働集約型農業はとても重要な雇用の場です。小規模経営も可能で農業者数が多いのはもちろんですが、花きや果菜は軽作業も多く、高齢者や女性の職場として重要な位置を占めています。

【地域経済の牽引役】
土地利用型(米・麦・大豆等の栽培)に比べ資材投入費(肥料、農薬、ビニール等の栽培資材、段ボール等の出荷資材、他)は格段に大きく、資材の取扱業者や金融機関にとって重要な顧客になっています。
また、売り上げの回収サイクルが早いことも特徴で、地域経済を回す原動力になります。
それに、間接的には雇用されている人々の経済活動もあります。
様々な側面から、生産額は11億円であってもその経済効果はその何倍にもなり、経済重要度は見た目以上のものと言えます。

【耕作地の維持】
中山間地の月形町にとって施設園芸はなくてはならない農業形態です。国は大規模化を促進していますが、耕地面積を広げるにはいくつかの条件があり、山に近い月形町では適さない土地が多くあります。また転作作物として奨励してきた歴史もあります。
農地の有効活用のためにも、耕作放棄地を出さないためにも、施設園芸は必要です。

【農村部の地域維持=農家戸数の維持】
農道や灌漑(かんがい)施設を含む農村部の地域維持は、農業者を中心とした地域組織が担っています。草刈りや排水溝の掃除など人手が必要な部分も多く、ある程度の農家戸数がなければ維持できません(労働を金銭で補完する仕組みはありますが、全てを依頼できるほど農業収入が多くないのが現実です。)。
国の施策である大規模集約化・土地利用型農業を進めることは農家戸数を減らすことにもつながるので、地域の特長を活かした農業(月形町の場合は施設園芸)で農家戸数を維持することは非常に重要です。

【地域の一翼】
地域を守るという観点から農業を見ると、土地利用型の大規模農業と労働集約型の施設園芸が混在することで地域全体をカバーし、最も効率的で競争力のある『地域産業』になると考えます。
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これを踏まえた上で今回の豪雪状況を見ていくと、(全容は解明されていませんが)パイプハウスが大きくダメージを受けたことは予見できます。何らかの対策をとらなければならないのは明白でしょう。

しかし「パイプハウスは個人資産だから税を投入することはどうか」という意見もあります。

月形町における施設園芸の位置づけを考えた場合「パイプハウス=生産インフラ」とも考えられ、その整備が地域社会全体に波及するのであれば、私は問題ないと考えます。つまり「地域振興策」「農業振興策」としての支援です。

ただし投入には「公平性」と「透明性」が担保されなければならず、そのための「評価軸」が必要です。また豪雪がきっかけとなって支援するのですから、次に建てるハウスには危険回避=強度強化の考え方も必要でしょう。いずれにせよこれらは「政策」です。明快な理論(根拠と具体的な施策)が必要になってきます。
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マスコミを通し「パイプハウス支援の具体的な数字」が公表されましたが、表現が端的で誤解を招く部分があったのが残念です。また町側も、政策意図や理論がまだ充分に定まっていないようで、時によって表現がまちまちなのが気になります。

もし議決を経てからの公表であれば、この点は解消されたでしょう。しかし「営農計画を立て直す農家のため、早急に支援を決めた」と町長が言うように、この施策の場合はスピードも欠かせません。スピードを重視した分、説明不足になってしまったとすれば、そこをフォローするのも議員の役目と思います。

そこで、この件について、3月定例会の一般質問(3月14日)でとりあげます。
詳しい質問内容は次のブログに。今回の論点は「農業振興策」か「災害復旧」なのか、です。

2012年02月26日

道北地域地方自治土曜講座(2012.2.18)

地域の課題をテーマに地方自治を考えようと、道北地域自治体関係の有志の皆さんが立ち上げた『道北地域地方自治土曜講座』。昨年11月に9年ぶりに復活し、2回目の講座が先週の土曜日(平成24年2月18日)にありました。

「地域から地域の課題を考える」という趣旨と、主催者の中に以前から交流のある意識の高い自治体職員の名前があったことなどから、復活のお知らせを聴いてとても興味をそそられていました。初回は都合がつかず参加できなかったので、今回は準備万端、楽しみにして参加してきました。

会場は旭川大学。40人近くの参加者(自治体職員、首長、議員、学生、一般)があり、質疑も活発に交わされ、とても活気のある講座でした。個人的にも「新たな視点・発想」を得ることができ、有意義な時間になりました。

「道北」「旭川」というと札幌圏には「遠い」存在に写るかもしれませんが(私がそう感じていただけかもしれませんが)、交通の便も良く余裕を持って日帰りできる圏内ですし、道北の抱える課題は小さな自治体が直面しているものと近く、実は非常に身近な存在で、参考になる要素がたくさんあることを今回参加して再認識しました。
それになによりも、「自分たちで何とかしなければ」という危機感(意識)が高く、前向きのエネルギーがみなぎっていることが素晴らしいです。参加者と接するだけでプラスのエネルギーを得ることができました。

今まで、勉強の場を求め札幌に出掛けていましたが(実際に開催場所のほとんどが札幌ですが)、全ての分野で一極集中する「札幌」では見えない(考えられない)ものが「道北=地方」にはあると感じました。その場の空気感というか、全体として醸し出す「気」のようなものです。
もっともっと地方に目を向け出かけていくことの必要性と、地方からの積極的な発信や呼び込みも必要だと感じた「道北地域地方自治土曜講座」でした。

以下、当日の講演内容のうち、私の印象に残った点を紹介します。
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  道北地域地方自治土曜講座

講演1「財政制約と地域の再生」
講師:北海学園大学経済学部 
    准教授(地方財政論)西村宣彦氏

■持続可能な地域づくりとは?
・「持続可能な社会づくり」
 ・・・1990年代から使われ出したが、曖昧な言葉
・持続可能な発展とは、環境を守りながらも経済
 発展をも認めること。別の要素を認めること。
   ○環境を守る=将来世代の権利を認める。
   ○経済発展を認める=現世代の繁栄


■現在の日本における持続可能な地域づくりとは?
・人口が減少しても生活の質が低下しないよう、いかに賢く縮小(衰退)するか
・コンパクトシティ論は都市部の論理では
・3.11以後の課題は、
 [地球温暖化対策+放射能汚染のリスク+汚染された現実]にどう向き合うか

■破綻と再生のマチ・夕張から見えてくるもの
・社会にとって夕張問題は「もう過去のもの」だが、地域にとっては現在進行形
・財政規模約40億円の夕張が、353億円の赤字を返済するという現実
 (3年で31億円返済済)
・夕張問題=やりながらの改革(=財政の再生+自治の再生+地域の再生)
・過疎化=誇りの空洞化
・財政破綻した自治体は、
 迷惑施設(例:産廃処分場、放射性廃棄物)と向き合う場面が増える。

■「危機」とどう向き合うか・・・分断をなくす
・世代間対立(世代間の意識ギャップ)からの脱却
・世代間連帯の再生(血縁 → 地縁へ)
・自治体連携の強化(地域を越えて、互いにないものを補完しあう関係)
・[自治体職員・議員 ←→ 住民] 心の溝は深い。
 情報開示、情報発信、コミュニケーションで共感を広げる。信頼回復もあり。
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講演2「過疎地における地域再生の可能性 
   −新規参入者と在住民による
          協働実践を事例として−」
講師:旭川大学保健福祉学部
    助教(地域社会学)大野剛志氏

■農山村地域の実態
・四重苦
  ○雇用機会の縮小・・農林水産業の衰退による
  ○生活苦・・・・・・・・・公共部門の縮小による
  ○コミュニティ崩壊の危機・・限界集落、消滅集落
  ○地域資源の荒廃と維持管理の困難    
・道北は日本社会の最先端(年少人口率、高齢化率、限界集落数)
・過疎と少子高齢化の根本問題は
  ○定住性の低下=安心して住めない
  ○地域社会の支え合いの絆がこわれる
   =社会的弱者(子供・高齢者・障がい者)の生活困難

■新規参入者への着目(農業・農村の活性化への期待)
・新規参入者=自由な発想が可能な人材
      (異質なライフスタイル=在住民にない価値観・知識・技能)
・これまでの研究は「新規参入者を受け入れる側の視点」しかなかった。
 今回の研究は「新規参入者が何を与えたか」の視点。

■地域再生の事例研究
【長沼町:新規参入者と在住民の協働による新たな農業の実践】内部変化のきっかけ
 □新規参入者(定年退職者)に経営能力あり。グリーンツーリズムのアドバイザーに
 ・「生産型」から「採算・流通・販売型」へ。
  経営指向性の高い「複合型経営」農業のノウハウを実践しながら伝える
 ・生産農業がダメなら体験農業へ。新しい農業のアイデアを提供
 □新規参入者(退職者)が退職金を元手に、地域農産物を食材にした農家レストラン
 を開店 → 農家レストランが農村に都市を巻き込む

【東川町:過疎地における小地域福祉活動の実証研究】
 ・家族福祉の限界が明らかな状況で、「地域福祉」が求められた
 ・自治振興会によるサロン活動で
  福祉活動の組織化や福祉のネットワークづくりに取り組む
  (行政主導の自治振興会から、地域住民が主体の小地域福祉活動へ)
 ・サロン活動の中身=お昼、お茶のみ、レクリエーション、ゲーム、健康相談、他
 ・サロン活動リーダーのやる気と行動力がカギ(創造性、実践性)
 ・ある地区のサロン活動のリーダーは新規参入者。自らの介護体験を活かす行動

【2つの事例研究からの発見】
 ・新規参入者の存在は、地域の構造変化をもたらす
   新規参入者のアイデアと実践が土台 → 日常的活動へ → 町内に活気
 ・新規参入者は農山村に「新しい風」を運ぶ媒体になり得る
 ・農村回帰(I・J・Uターン)の社会現象
  →「ゆたかな農村生活」を選択した人=期待できる存在

■地域が内部から変わり発展するには
 ◎地域活性化運動の担い手の小さな活動から、多くの住民を巻き込んでいくこと
 ◎[身の丈にあった][身近なこと][今できること]から始めること
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今回の講演内容は、ともすれば[ありきたり]と捉えられかねないテーマですが、今までの研究との視点の違いを感じるもので、私にとっては多くの気づきがありました。

ブログを書くに当たって講演内容を再度振り返ったのですが、たくさんの資料と新たな視点をどうまとめるか、思いのほか時間がかかってしまいました。が、その分、丹念に考えることができて整理がつきました。復習は大事ですね。

私も月形町にとっての新規参入者の一人です。私が普通に感じ考え行動することが[新しい風]になっているという体験もしています。が、まだまだ成果としては充分ではありません。ただ[身の丈にあった][身近なこと][今できること]をしているだけなので負担感もなく、むしろその過程を楽しみながら実践しています。あとは共感と広がり。

地域を巻き込み、その過程も楽しみながら進めて行きたい(いかなければなりませんね)。

2012年02月18日

第2回『にじいろ広場』を終えて

今週初め、2月13日に開催した『第2回にじいろ広場』の報告です。

当日は朝から降雪も風もない曇り空。前日(12日・日曜日)の猛吹雪とは一転した穏やかな1日でした。
このあと水曜日はまた猛吹雪、木曜日と金曜日は大雪でしたので、つかの間の雪の止み間と言え、皆さんこの間を利用して除雪や排雪に大忙しでした。また吹雪の後始末(多くの町道が吹雪でふさがってしまったので開け直す作業)に追われたためスクールバス(=町内循環バス)も運休(臨時休校)。残念ながら会場まで来られなかった人もあったのではと思います。

そのような状況の中、8名(女性4名、男性4名)の方にお越しいただきました。
大変ありがとうございます。

テーマのない茶話会でしたが、今回お集まり方は「ゆみこの議員活動報告書10」に掲載の告知を見て足を運んでくださった方ばかりなので、やはり報告書の中身をきっかけに、行政運営についての話題が多かったです。

当日の話題を項目ごとに分けてみると
■予算の付け方  :樺戸博物館、公共施設の設備や設計、公営住宅、公用車の活用
■防災      :水害、防災マップ、地震、雪害、寒さ、停電、備蓄(量と場所)
■町民と行政の連携:地域担当制、広報広聴、IP告知の活用
■福祉・保険   :ぬくもり福祉券、介護保険、国民健康保険
■教育      :スクールバスの運用、防災教育
■現状      :高齢者の実態、少子化の現実(対策)、基幹産業(農業)の衰退と対策
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「にじいろ広場」で、町民のみなさんは「決定過程を知りたがっている!」ということがハッキリしました。

今回集まってくださった皆さんは町政に興味が深く、町からの広報物はくまなく読んでいる人たちでした。しかし(だからこそ)「なぜそうなるの?」という疑問が湧いてきています。(紙面の都合は理解しますが)広報では結果しか伝えられない(伝えていない)からです。

これとは別に、町は広報物だけでなく各種関係団体や行政区長などには丁寧な説明をしているようですが、その場に入れない人々に情報は伝わっていません。これら情報を持っている団体の代表者はほぼ100%男性のため、特に女性には詳しい情報が伝わっていないようです。

参加した女性の皆さんは
「噂話には聴いたけれど、本当なの?」
「不正確な情報が広がるのは良くないから、噂は噂としか聞いていないけれど、不安になる。」
など、真実や実態を知りたい欲求が高かったです。その一方
「私たちも町政懇談会とかに出て行って聴かなくちゃダメなんだよね。出ないで文句ばかり言ってても。」
「でも町政懇談会は年々会場規模が大きくなって(気持ち的にも、距離的にも)足を運びにくくなってる。前みたいに町内会や老人クラブの小さい単位で、家の近くでやってくれたら行けるのにね。」
とも話してくれました。

行政が効率化を進めるのも理解しますが、町民のみなさんの言うことももっともです。そこに折り合いをつけるには「何のためにそれをするのか」という原理原則を再度確認する必要があると感じました。また(今回話題には乗りませんでしたが)、議会や議員としての広報広聴の重要性も感じました。

議会が開かれ、身近な議員が広報広聴の一翼を担えば、今よりもっと町民の満足度が上がるでしょう。私たち議会関係者も、行政ばかりを頼ることなく自分たちの出来ることをもっと進めて行かなければ!

2012年02月12日

月形町立札比内小学校 90周年記念式典・閉校式典・惜別の会

昨日、平成24年2月11日は、3月末で歴史を閉じる札比内小学校の区切りとなる一日でした。
会場の体育館には、在校生はもとより町内外から同窓生や関係者(総勢約200名)が、札比内小学校の歴史の1ページを共有するために集まりました。

週半ばから大雪や吹雪が断続的に続く月形町にあって、当日は札比内地区だけが穏やかだったようです。朝、月形市街は激しく雪が降り続き道道峰樺線も通行止めになっていましたが、札比内地区に近づくにつれ視界が効くようになり、式典中は晴れ間も覗くほど。何かが守ってくれた・・・そんな気にもさせました。
(ちなみに、今日も朝から吹雪模様で、予定されていた行政区対抗のミニバレーボール大会は中止になりました。札比内地区の昨日の晴れ間は本当に何かに守られていたんですね。)


さて式典は・・・

「90周年記念式典」「閉校式典」「惜別の会」とも、主催や趣旨は違っていても「札比内小学校に想いを寄せ、これから始まる未来に向かって進んで行こう」という気持ちは同じです。関係者の挨拶や祝辞、各種表彰からは「子ども達のために豊かな教育を」とバックアップしてきた先人たちの足跡と、それを引き継ぐ現在の人々の気概がズシンと伝わってきました。

20120211e.jpgまた、各場面で披露された児童発表(器楽合奏、よびかけと歌、よさこい踊り)では「札比内に生まれ育って築いた心の軸を大切にし、これからの未来を拓いていきたい」という子ども達の自信と希望がビンビン響いてきました。

この日の式典中、挨拶のために2度登壇した末吉校長先生は、いつものようにプレートを掲げました。子ども達に(そして保護者や地域の人、私たち関係者にも)伝えたい大事な言葉を、耳だけでなく目にも留めることで、しっかりと心に刻んで欲しいとの願いからだと思います。

このうち【ありがとうの心・あきらめない心】は先生が赴任してからの2年間、事あるごとに示してきた言葉で、「生きていく上で大事にすべきもの・目指すべきところ」を表したものだと私は解釈しています。私自身、この言葉で何度自分を振り返り、何度勇気づけられたことか・・・既に私の中に染み入っているのを再確認しました。きっと子ども達には、心や体の奥深いところにまで浸透していることでしょう。


『閉校記念誌・札比内』によると・・・

札比内小学校は大正11年(1922年)9月に「樺戸郡札比内尋常小学校」としてスタートし、今年90周年を迎えました。が、その前に「月形小学校厚保軽臼内特別分教場」が明治44年(1911年)4月に開設されていたので、その時代を含めれば100年を超える歴史になります。

開校以来、国の学校制度の変更により様々に名称を変えたのち、昭和22年(1947年)4月に札比内小学校に改称、翌5月には札比内中学校も併設されました(札比内中学校は平成13年に閉校=月形中学校へ統合)。現在の全校児童数は20名ですが、過去には小中校あわせて400名程も通学していたそうです。きっと当時は、校舎からあふれんばかりの子ども達の声が聞こえていたのでしょう。

閉校記念誌の裏表紙には「ありがとう札比内小学校 思い出・夢・希望 いつまでも忘れない」と記してあります。この言葉は札比内小学校に関わった多くの人の想いの集大成なのですね。同じ言葉を刻んだ手作りの閉校記念看板が旧正門脇に設置されていますし、記念誌に綴られている数々の寄稿文、写真、名簿の一つ一つからもその想いが感じられました。


閉校記念といえば、『桜の植樹』・・・昨年10月、校庭に30本の桜が植えられました。

「この桜は皆さんと同じように成長を続け、桜並木としてここを通る人たちの心を和ませるでしょう。大人になって、もし札比内を離れたとしても、どこかで満開の桜を見たときに、札比内小学校のこと、故郷のことを思い出して欲しいです。」

これは式典でどなたかの挨拶にあった言葉です。ジーンと来て、思わず涙がこぼれてしまいました。札比内で咲く桜のことだけでなく、故郷に思いをはせながら何処かで暮らす卒業生の気持ちにも寄り添っていたからなのでしょう。もしかしたら、私自身と重なったからかもしれません。
閉校はやっぱり切ない、でも子供の成長と未来を思ったら・・・苦渋の決断があったことを桜が物語っているようでした。

春になれば花を咲かせる桜、年々大きくなって見事な桜並木になることでしょう。これから先、札比内小学校を知らない世代ばかりになったとしても、「札比内小学校跡地の桜並木の言われ」として語り継いでいきたいと思っています。


これら全ての準備を進めたのは『札比内小学校 閉校記念協賛会』の皆さんです。

20120211d.jpg同窓生、地域の皆さん、PTAとで組織された協賛会。この日のために1年近く前から様々な準備を進め、行事も行ってきました。式典や惜別の会でも、本当なら一番感無量であるはずの皆さんが主催者として「おもてなし側」に回り、細やかに気を配りながら忙しく動いている姿を眼にして、感謝の気持ちでいっぱいになりました。本当にありがとうございました。

皆さんのおかげで、同窓生でも札比内に住んでもいない私が、札比内小学校の歴史の1ページに立ち会うことができ、心を揺り動かされ、心の栄養をたくさんいただけたのです。ありがとうございました。

この日の表彰者に地域女性の名前はありませんでした。が、表には出なくとも地域を支え、学校を支え、家庭を支えている女性たちの素晴らしい力があったことは紛れもない事実です。また、それぞれに頑張っている女性は札比内出身者だけでなく、他の地域や都市部からお嫁に来られた実に多くの女性たちであることも。

札比内で暮らし続けるうちに地域に溶け込み、地域を愛し、行動につながる・・・
この式典を通して、「札比内の懐の深さ」「地域力」を改めて感じました。

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